赤塚不二夫は日本を代表するギャグ漫画家で、「天才バカボン」や「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」の作者として知られています。
赤塚不二夫の晩年や最期について紹介します。
赤塚不二夫とは?
赤塚不二夫は満州の生まれで、日本に帰国した後は奈良や新潟で子供時代を過ごしました。
小学生の時に手塚治虫の「ロストワールド」を読んで感銘を受け、漫画家を志すようになります。
上京して働きながら漫画雑誌に投稿し、「嵐をこえて」という作品で漫画家デビューを果たしました。
石ノ森章太郎のアシスタントになり、トキワ荘で生活するようになります。
「おそ松くん」や「ひみつのアッコちゃん」の連載が始まると、大人気となりました。
そして、大ヒット作「天才バカボン」を生み出します。
赤塚不二夫の晩年
「天才バカボン」のヒットによって一躍大人気漫画家となった赤塚不二夫ですが、その後はスランプに陥ってしまいます。
次々と漫画の連載が終了し、アルコール依存症にも苦しめられます。
しかし、大ヒット作とはいかないまでも「『大先生』を読む」や「話のチャンネル」などの作品を描き、人気を集めました。
1998年にはこれまでの功績が評価され、紫綬褒章を受章しています。
アルコール依存症は治療を続けていましたが、完治するまでには遠く入退院を繰り返していました。
この頃、アルコール依存症の治療を支えた女性と結婚しています。
また、食道がんを患い、長時間に及ぶ手術を受けます。
長期入院を余儀なくされました。
その後、回復して退院しています。
赤塚不二夫の最期
赤塚不二夫は、2002年に脳内出血で倒れます。
その後は植物状態が続き、2008年に病院で亡くなりました。
72歳の時でした。
赤塚不二夫を献身的にサポートしてきた妻は、赤塚が亡くなる2年程前にくも膜下出血によって急逝しています。
赤塚不二夫の死因
赤塚不二夫の死因は、肺炎だったと言われています。
ただし、脳内出血で倒れてからは意識が戻らないままでした。
赤塚不二夫をめぐる逸話
赤塚不二夫は2度、結婚しています。
前妻と後妻は非常に仲が良く、後妻との再婚の際には前妻が保証人になったほどです。
後妻との結婚を報告する際には、前妻と前妻との間に生まれた娘も同席するという非常に珍しい記者会見を行っています。
赤塚不二夫をめぐる逸話
赤塚不二夫はとてもシャイな性格でしたが、幅広い交友関係がありました。
タレントのタモリを見出し、芸能界デビューを後押ししたともいわれています。
また、私生活は破天荒で、闘病中もお酒とタバコは止めることができなかったといいます。
ただし、若い頃はほとんどお酒を飲まなかったようです。
まとめ
赤塚不二夫は「天才バカボン」や「おそ松くん」を世に送り出して人気漫画家となりますが、晩年はアルコール依存症に陥っていました。
治療のために入退院を繰り返し、ある日脳内出血で倒れています。
数年間、意識が戻らない状態が続き、72歳の時に肺炎で亡くなりました。