「宝蔵院胤栄」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「宝蔵院胤栄」の死に際とは?日本の人物

宝蔵院胤栄は、十文字槍を使った宝蔵院流槍術を創始した人物です。

優れた武術家でありながら、僧侶でもありました。

その晩年と最期について紹介します。

宝蔵院胤栄とは?

宝蔵院胤栄は安土桃山時代に生きた僧侶で、興福寺子院である宝蔵院の院主でもあります。

非常に優れた武術家であり、宝蔵院流槍術の開祖としても知られています。

それまで槍術は素槍を使うものでしたが、宝蔵院流槍術では十文字槍を使用します。

宝蔵院流槍術は槍術の歴史において、画期的なものでした。

戦国時代の武将で兵法家でもあった上泉信綱に師事しました。

上泉信綱は聖剣と呼ばれる剣豪の一人です。

信綱からは新陰流の剣術を学びました。

それから槍術の膳大夫盛忠や天真正伝香取神道流の大西木春見に学んだこともあります。



宝蔵院胤栄の晩年

宝蔵院胤栄は晩年、槍術から離れて僧としての活動に専念します。

宝蔵院胤栄が興した宝蔵院流槍術は、弟子である胤舜に受け継がれました。

胤舜が、宝蔵院流槍術を完成させたといわれています。

その後、宝蔵院流槍術は江戸時代において大きく発展し、3代目の胤清、4代目の胤風へと受け継がれていきます。

明治時代・大正時代に活躍した政治家山県有朋も、宝蔵院流槍術の達人であったといわれています。

しかし、宝蔵院流槍術の開祖である宝蔵院胤栄本人は、僧侶である自身が武術を教えることに矛盾する思いを抱えていました。

槍術は武術の1つであって、人の命を奪うことにつながるからです。

そういった思いもあり、晩年に槍術から離れたのです。



宝蔵院胤栄の最期

宝蔵院胤栄は僧として活動し、1607年に亡くなります。

享年87でした。

当時としては非常に長寿で、年齢を考えると老衰で亡くなったと考えられます。

宝蔵院胤栄をめぐる逸話

宝蔵院胤栄は優れた武術家でしたが、武術は僧が行うものではないと考えていました。

そのため寺には兵器を置くことはなかったといいいます。

また、門人に対しても修行をすることを禁止したといわれています。

しかし、宝蔵院胤栄の元には優れた門人が集まっており、宝蔵院胤栄はその後も大きく発展しました。

江戸時代の後期には、槍術最大の流派となったのです。

宝蔵院胤栄を題材にした作品

宝蔵院胤栄が登場する作品として、人気漫画家である井上雄彦の「バガボンド」があります。

バガボンドは剣豪・宮本武蔵を主人公とする漫画で、絶大な人気を博した作品です。

宝蔵院胤栄は、宮本武蔵の心の師として登場します。

また、その他にも宝蔵院流槍術が登場する小説や漫画もあります。

まとめ

宝蔵院胤栄は、興福寺の僧侶でありながら優れた武術家でもありました。

当時としては画期的だった十文字槍を使う宝蔵院流槍術を創始した人物です。

晩年は僧侶の自分が人を殺生する武術を教えることに矛盾を感じており、槍術から離れています。

僧としての活動を中心とし、87歳でその生涯を閉じました。

非常に長生きしており、大往生といえるでしょう。

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