「松尾芭蕉」や「与謝蕪村」と共に名を連ねる巨匠「小林一茶」はどのような最期を迎えたのでしょうか?
この記事では、「小林一茶」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「小林一茶(こばやし いっさ)」とは?簡単に説明
「小林一茶」は「松尾芭蕉」や「与謝蕪村」と並んで評される江戸時代の俳諧師です。
俳諧において「一茶調」と呼ばれる独自のスタイルを築き上げました。
信濃国(現在の長野県)柏原の有力農家の分家に生まれ、10代の頃に奉公に出された江戸にて「俳諧」と出会うことになります。
「二六庵竹阿」に師事し、奥州の旅の紀行をまとめた初期の作品「奥州紀行」を発表しました。
師の死後は西国へと旅立ち、近畿、四国、九州などを数年かけて周ります。
そして、江戸に戻った後、旅の紀行をまとめた「さらば笠」を執筆しました。
「小林一茶」の晩年と最期
1814年(文化11年)に「小林一茶」は齢52にして「菊」という28歳の女性と結婚します。
「菊」との間には長男、長女、次男を儲けますが、いずれも早世してしまいました。
その後、三男を授かるも、今度は「菊」が体調を崩して亡くなった上に、三男も同年に早世してしまいます。
相次いで家族を失った「小林一茶」は中風の発作を繰り返し、一時は言語障害や半身不随の状態にまでなってしまったそうです。
その後、1824年(文政7年)に「小林一茶」は「雪」という女性と再婚しますが、3ヶ月で離婚してしまいます。
そして、1826年(文政9年)に65歳の「小林一茶」は「やを」という32歳の女性と再再婚をしました。
しかし、翌年7月に住んでいた柏原にて大火災が発生し、「小林一茶」の屋敷は焼失してしまいます。
そして、年が明けた1828年(文政11年)1月5日、気分が優れずに床に伏していた「小林一茶」は享年65歳で急死してしまいました。
「小林一茶」の死に様の信憑性
「小林一茶」は57歳のときに中風を患い、度々発作を起こしていました。
死因についても中風の発作によるものと伝わっています。
絶倫だった「小林一茶」
「小林一茶」の逸話として有名なのがその絶倫っぷりです。
52歳で結婚した「小林一茶」ですが、妻と交わった回数を毎日日記に記録していました。
しかも、その回数というのが1日3回や時には5回と記されていることも・・。
定かではありませんが、最初の妻である「菊」は37歳の若さで亡くなっており、一説では「小林一茶」に毎晩求められたことが原因で衰弱したとも言われています。
まとめ
「小林一茶」は「一茶風」と呼ばれる独自の俳諧スタイルを築き上げた、江戸時代を代表する俳諧師です。
俳諧師として功績を重ねていく傍ら、相次ぐ子供の早世や妻の死に見舞われ、自身も中風の発作に度々苦しめられます。
晩年には大火災によって屋敷を失ってしまい、翌年の1828年(文政11年)1月5日に65年の生涯を終えました。