ジャンルオールラウンダーな名曲サマータイムの生みの親「ジョージ・ガーシュウィン」の散り際とは?
この記事ではジョージ・ガーシュウィンの晩年と散り際について解説していきます。
「ジョージ・ガーシュウィン」とは?簡単に説明
音楽における全てのジャンルで歌われる名曲『Summertime』の作曲者としてあまりに有名。
同曲は「ビリー・ホリデイ」氏のジャズナンバーが有名ですが、人の数だけ好みがあるのと同様にカバーも多数存在。
「マイルス・デイビス」版は代表的な一例でしょう。
劇場で行われるレヴューやミュージカルの名曲を多数輩出しており、20世紀初期の米国音楽に多大なる貢献をした人物だと言っていいでしょう。
「アイラ・ガーシュウィン」氏は兄でガーシュウィン兄弟として後世まで名前を残しています。
「ジョージ・ガーシュウィン」の晩年
1934年に『Porgy and Bess』のオペラの製作に取りかかると1935年9月のボストン公演で発表。
ボストンでの初演は興行的には芳しくありませんでした。
しかし翌月のニューヨーク・ブロードウェイ公演が大ヒット・ロングラン公演となり、同作は20世紀を代表するオペラになっています。
晩年も精力的に活動をしており『Summertime』だけに目を捕らわれがちですが、1937年のミュージカル映画『踊る騎士』の挿入歌『A Foggy Day』は後年にも歌い継がれていく作品となっています。
しかしこの曲を兄弟合作している時には既にジョージ氏の身体は深く病魔に蝕まれていました。
「ジョージ・ガーシュウィン」の死に様
1937年7月11日にカリフォルニア州ロサンゼルス・ハリウッドの病院で死去。
38歳没。
死因は脳外科手術から回復できなかったこと。
悪性脳腫瘍の一種である多形膠芽腫は切除したとされますが、意識は回復することはありませんでした。
「ジョージ・ガーシュウィン」の死に様の信憑性
1937年2月に指揮の最中に意識喪失して、倒れたことを発端に体調悪化が進んでいったとされます。
既に1936年末から躁鬱状態だったとされますが、当時は過密日程によるストレスから生じたものだと思われていたようです。
この症状は日を追うごとに苛烈なものとなっていき、しばしばてんかん状態に陥ることになりました。
また嗅覚異常に加え、毎朝明け方に強烈な頭痛を訴えていたとされます。
強烈な頭痛や吐き気を毎日の様に伴ったことが同病としては不可解なため別病が疑われました。
しかし症状が激化してから既に半年近くが経ってからで、その時間の経過は致命的なものになってしまいます。
7月9日に昏睡状態に陥いり、頭蓋骨に穴を開けて造影剤を投与。
それにより右側頭葉に巨大な腫瘍が発見され、翌日には緊急開頭手術が行われました。
腫瘍は切除されたもの昏睡状態から回復は叶わず、永眠する運びになっています。
まとめ
1937年7月11日、ロサンゼルス・ハリウッドの病院で逝去。
38歳没。
脳外科手術後に回復できず力尽きた形になりました。
右側頭葉にできた悪性腫瘍は嚢胞を伴った巨大なものでしたが切除自体はされています。
2日前から昏睡状態に陥っていましたが、意識が回復しなかった理由については不明。
どちらにせよ悪性腫瘍の中でも予後が悪く、進行の早い多形膠芽腫で当時の医療技術では寛解は困難だったのは間違いないでしょう。