マイケル・ジャクソンは、アメリカで絶大な人気を博したエンターテイナーです。
世界のミュージックシーンに多大な影響を与えました。
そのマイケル・ジャクソンの晩年と最期について紹介します。
マイケル・ジャクソンとは?
マイケル・ジャクソンは、キング・オブ・ポップと讃えられる偉大なアーティストです。
幼い頃から音楽の才能に恵まれており、兄弟と共にジャクソン5の一人としてデビューします。
そして1979年にソロデビューを果たすと、1982年に2作目となるアルバム「スリラー」をリリースしました。
「スリラー」は全世界で1億枚以上の売り上げを誇り、マイケル・ジャクソンは一躍大スターの座へと押し上げられました。
その後も数多くの楽曲を世に送り出し、音楽界の頂点に君臨し続けます。
マイケル・ジャクソンの晩年
マイケル・ジャクソンの晩年は、スキャンダルにまみれていました。
2度の結婚と離婚を経験しています。
整形も頻繁に行っていたため、容貌は段々変化していきました。
また、性的虐待容疑で逮捕されたこともあり、裁判の行方は世界中から注目を集めることとなります。
性的虐待が行われたとされるのが、ネバーランドと名付けた豪邸です。
マイケル・ジャクソンは、このネバーランドに少年たちを集めて住んでいました。
その少年たちの一人に性的虐待をしたとされたのです。
しかし、裁判では身の潔白を主張し、それが認められ無罪判決を勝ち取ります。
その後、2009年に「THIS IS IT」というツアーを開催することを発表しました。
チケットは50講演分が、たった5時間で完売したといいます。
マイケル・ジャクソンの最期
ツアーを控えていたマイケル・ジャクソンでしたが、自宅で急死してしまいます。
急性プロポフォール中毒でした。
なぜプロポフォールが投与されたのかというと、マイケル・ジャクソンが不眠の症状を訴えていたからです。
プロポフォールは全身麻酔に用いられる薬で、呼吸が停止したり心停止を引き起こす可能性がありました。
使用する際には慎重に呼吸の状態を監視する必要があったのですが、主治医はそれを怠っています。
また、検視ではそれ以外の薬物も複数見つかっており、不適切な睡眠薬の使用が行われたことは間違いありません。
マイケル・ジャクソンの主治医であったコンラッド・マーレーは、過失致死罪に問われました。
そして有罪判決を受けています。
マイケル・ジャクソンの死後
マイケル・ジャクソンの死は、世界中に衝撃をもって伝えられました。
予定されていたツアー「THIS IS IT」は幻となりましたが、リハーサル映像をおさめた映画「マイケル・ジャクソンTHIS IS IT」は、大ヒットを記録しています。
まとめ
マイケル・ジャクソンほど音楽界で成功した人物はいません。
しかし、私生活はスキャンダルにまみれていました。
不眠に悩んでいたマイケル・ジャクソンは睡眠薬を主治医に求め、それが引き金となり急死したのです。