70年代のティーンエイジャーが憧れた「アニセー・アルヴィナ」の散り際とは?
この記事ではアニセー・アルヴィナの晩年と散り際について解説していきます。
「アニセー・アルヴィナ」とは?簡単に説明
「エルトン・ジョン」氏が音楽を担当したことで知られるイギリス映画『フレンズ?ポールとミシェル』のミシェル役で一躍世界中のティーンエイジャーのアイドルになりました。
同ジャンルで全く同時期に公開された『小さな恋のメロディ』に対しては欧米での興行成績は圧勝することになりました。
その一方でアニセー氏も同作のミシェル役のイメージが定着。
子役、ティーンタレントの殻を破ることができませんでした。
これはポール役の「ショーン・バリー」氏、競合作であった小さな恋のメロディのメイン3人も同様だったと言えるでしょう。
「アニセー・アルヴィナ」の晩年
1995年まで芸能活動を中断し、復帰後は映画やテレビドラマ、そしてミュージカルで活動しながら、1983年から活動を開始しているバンド『Ici Paris』のメインボーカルを担当しています。
音楽は取り繕わず素の自分を出せると語る通り、音楽の世界に尽力していきました。
2004年同バンドで新たな構想を実現させようとしましたが、病魔に襲われてしまったため断念することになっています。
「アニセー・アルヴィナ」の死に様
2006年11月10日、フランス北部のウール=エ=ロワール県ボンクールで永眠。
53歳没。
死因は肺癌だと報道されています。
「アニセー・アルヴィナ」の死に様の信憑性
『フレンズ』で大スターになったもの、その後代表作と呼べる作品には恵まれませんでした。
若い頃の成功体験がその後の人生をつまらなくするのは、ティーンで成功した俳優にはよくあること。
『小さな恋のメロディ』のメロディ役の「トレイシー・ハイド」氏同様に芸能活動を80年代半ばに休止しています。
そのためか日本での彼女の逝去の報道はスポーツ新聞の中面で小さく扱われたのみでした。
詳細も語られていないため、フランス版のウィキペディアやフランスでの記事を翻訳するのが主な情報入手方法になると言っていいでしょう。
また熱烈な彼女のファンのサイトからも情報を得ることができますが、70年代の世界的なティーンアイドルにしてはその数が多くはありません。
その死に関してはウィキペディア日本語版では11月10日にボンクールで死亡になっています。
しかしフランス語版では11日にパリ15区で逝去と記載されています。
亡くなる前年に撮影された写真では頬から顎のラインがかなり細くなっており痩せた感は否めません。
まとめ
2006年11月10日、フランス北部ウール=エ=ロワール県のボンクールで亡くなっています。
フランス語版ウィキペディアでは11日パリ15区で逝去。
53歳没。
死因は肺癌でした。
若い頃の撮影写真では煙草を片手にしたものもあり、喫煙習慣を隠しておらずヘビースモーカーであったとされ、それが彼女の寿命を縮めた可能性は多いにあると言えるでしょう。
最晩年のピンナップでも撮影で煙草を片手にしていました。
日本語とフランス語版でのウィキペディアで死亡日付や没地の表記の違いがありますが、その死については多く語られていない点では共通しています。