「お市の方」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「お市の方」の死に際とは?日本の人物

お市の方は、戦国という乱世に過酷な運命に翻弄された女性です。

波乱万丈に生きた人生の最期はどのようなものだったのでしょうか。

お市の方とは?

お市の方は戦国時代、天下人となった織田信長の妹として知られています。

絶世の美女であったといわれます。

お市の方は近江の大名であった浅井長政に嫁ぎ3人の娘をもうけますが、浅井家と実家である織田家は敵対することになり長政は自害に追い込まれました。

娘たちと共に織田家に引き取られたお市の方は、織田家の重臣である柴田勝家と再婚しています。

しかし、柴田勝家は織田信長亡き後後継者の地位を狙う羽柴秀吉と争うことになり、賤ヶ岳の戦いで敗れ自害します。

お市の方も夫の勝家と共に、自害したと伝えられています。



お市の方の晩年

最初の夫を亡くしたお市の方は、織田家に引き取られ娘たちと共に暮らしていました。

兄である信長は妹であるお市の方と姪3人をとても大切にし、気にかけていたといいます。

お市の方の夫である浅井長政を滅ぼしたのは他ならぬ信長なので、贖罪の気持ちを持っていたのかもしれません。

お市の方は娘たちと共に織田家で9年余りを過ごしますが、織田信長が本能寺の変によって亡くなったためその運命は大きく変化します。

本能寺の変後に開かれた織田家の後継問題や領地問題を話し合う清州会議で、お市の方と柴田勝家との結婚が決まりました。



お市の方の最期

お市の方は3人の娘たちを連れて柴田勝家に嫁ぎ、越前国の北の庄城に移ります。

しかし、その翌年、柴田勝家は後の豊臣秀吉となる羽柴秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いが勃発します。

織田家の勢力を2分する激しい戦いでしたが、勝家が破れ自害しました。

この時、お市の方は3人の娘たちを城から脱出させた後に夫と共に自害することを選びます。

お市の方は、享年37でした。

お市の方にまつわる逸話

一説によると二人目の夫である柴田勝家は、お市の方も娘たちと共に羽柴秀吉の元に逃がそうとしていたといわれています。

当時の常識であれば、お市の方は勝家の妻であっても秀吉の主人である織田信長に縁のある女性なので、秀吉は手厚く保護したと考えられます。

実際、3人の娘たちは秀吉の庇護を受けています。

それにも関わらず、お市の方は夫と一緒に死ぬことを選んだのです。

お市の方の娘たち

数奇な運命をたどったお市の方ですが、その娘たちの人生も波乱万丈です。

長女の茶々は、自分たち姉妹を保護した豊臣秀吉の側室となります。

男児を出産し淀君と呼ばれるようになりますが、徳川家康と対立して敗れ息子と共に自害しています。

三女の江は3度結婚していて、3番目の夫となるのが徳川家康の息子である秀忠です。

まとめ

お市の方は、再婚した夫の柴田勝家と共に北の庄城で自害して亡くなります。

前夫浅井長政との間に生まれた3人の娘たちもいましたが、城を脱出させ逃がしています。

お市の方の時代に翻弄され続けた人生の最期は壮絶なものでした。

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