『The Sidewinder』は代表曲の一部にしか過ぎない?「リー・モーガン」の死に際とは?
この記事ではリー・モーガンの晩年と死に際について解説していきます。
「リー・モーガン」とは?簡単に説明
若くしてトランペッターとしての才能を開花。
オーセンティックなジャズから『The Sidewinder』の様なロックテイストのもの、艶めかしいバラード『A Night in Tunisia』まで曲の魅力を音として具現化できる才能を持った人物だと言っていいでしょう。
曲の名前を知らなくてもメロディを聴けば、あの曲だと解るほどにテレビや日常生活の中で流れた名曲は多いと思われます。
「リー・モーガン」の晩年
50〜60年代に活動していた有名ミュージシャンで麻薬に嵌まってオーバードーズ、悲劇的な最期を遂げたケースも多く見られます。
しかし幸いにもモーガン氏のヘロイン中毒は深刻だったものそこまでは至らずに解脱に成功。
復帰後のアルバム『The Sidewinder』に収録されたタイトル同名曲はジャズとして異例の大ヒット作となりました。
その反面大ヒット作の功罪は大きく、サイドワインダー(ガラガラヘビ)に追われるの如く曲作りや構成が影響から抜け出せなくなってしまったとも言われました。
1曲の意欲作と多くの凡作でアルバムが構成されるようになったとも皮肉られる始末。
とはいえ名声を手にした事には変わりは無く精力的な活動を続け、70年夏自身の32才の誕生日にレコーディングを開始した『Live at the Lighthouse』はタイトル通りライブ録音となる初のアルバムとなりました。
71年秋には新アルバムの収録を完了。
以降も何も変わらぬ日々を過ごしていたと思われます。
「リー・モーガン」の死に様
1972年2月19日、緊急搬送されたニューヨーク州マンハッタンの病院で死去。
33歳没。
死因はたった1発の銃弾によるものでした。
「リー・モーガン」の死に様の信憑性
2016年にスウェーデンで『I Called Him Morgan』がドキュメンタリー映画として製作されました。
モーガン氏を銃撃した「ヘレン・モア」が亡くなる1ヶ月前になぜ彼を撃ったのかについて語られています。
事件の経緯についてですが、当日のニューヨークは大雪でした。
ヘレン氏はそんな悪天候のなかマンハッタンの有名ジャズクラブ『Slugs’』 に足を運びます。
モーガン氏がヘロイン中毒時代に彼を支えてマネジメントまで行っていた彼女でしたが、モーガン氏に若い新恋人ができ、仲はこじれていたそうです。
たまたま当日3人が鉢合わせとなり、モーガン氏がヘレン氏を大雪のなかクラブから追い出した事が発端となり、彼女は凶行に及びました。
1発の銃弾で即死状態となりましたが、当日は大雪で救急車がくるまでに1時間掛かったのも命取りになったようです。
まとめ
1972年2月19日、ニューヨーク州マンハッタンの緊急搬送先で逝去。
33歳没。
死因は至近距離から放たれた1発の銃弾によるものでした。
自ら彼女に買い与えていた護身用の拳銃によるもので亡くなる皮肉的な結末だったと言えるでしょう。
2016年のドキュメンタリー映画は彼を銃撃した内縁の妻ヘレン氏が亡くなる1ヶ月前のインタビューから製作されており、信憑性は高いと思われます。