この記事では、「フェルディナンド・マゼラン」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「フェルディナンド・マゼラン」とは?
フェルディナンド・マゼランとは大航海時代の探検家で、史上初となる世界一周航海の立役者となった人物です。
マゼラン自身は航海の途中で亡くなってしまうのですが、マゼランの部下が後を引き継ぎ世界周航を成し遂げています。
また、南アメリカ大陸の南端にあるマゼラン海峡を発見したのもマゼランです。
マゼランの航海の目的は、スパイスをモルッカ諸島から輸入することでした。
「フェルディナンド・マゼラン」の晩年
フェルディナンド・マゼランは、1519年にスペイン皇帝カルロス一世の庇護を受けスペイン艦隊を率いて航海に出発しました。
目的地はモルッカ諸島で、当時ヨーロッパで需要が高まっていたスパイスを手に入れるためです。
ポルトガルは東回りの航路で既にモルッカ諸島に到達しており、莫大な利益を上げていました。
そこでスペインは、西回りの航路でモルッカ諸島に到達すようとしたのです。
マゼランはポルトガル出身で以前はポルトガルの船に乗っていましたが、拠点をスペインに移しています。
ポルトガル王の不興を買ったとか、報酬の交渉が上手く行かなかったためといわれます。
「フェルディナンド・マゼラン」の死に様
フェルディナンド・マゼランは、1521年にフィリピンのセブ島に到達しました。
ここでマゼランは、キリスト教の布教活動を行います。
セブ島の住民の多くは改宗しましたが、それに反発する部族もいました。
マゼランは武力で服従させようとしますが、反撃を受け戦死してしまいます。
「フェルディナンド・マゼラン」の死に様の信憑性
フェルディナンド・マゼランは、目的地であるモルッカ諸島にたどり着く前に亡くなってしまいました。
セブ島での争いでは、マゼランたちは甲冑を身に付けていたので相手の武器である竹槍ははねのけることができたといいます。
しかし、防具がついていない足を狙われたため、敗れてしまったのです。
マゼランの死後、スペイン艦隊は無事にモルッカ諸島にたどり着き、スパイスを持ってスペインに帰国しています。
ただし、乗組員による反乱や食糧難、セブ島での住民との戦い、壊血病などがあり、270名の乗組員のうちスペインに帰ることができたのはたった18人だったといいます。
まとめ
フェルディナンド・マゼランはスペイン艦隊率いて航海中、セブ島で戦死しました。