「デニス・テン」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解説

「デニス・テン」の死に際とは?世界の人物

フィギュアスケート競技においてカザフスタン人で初めてオリンピックメダルを獲得したデニス・テンは25歳と言う若さで死亡しています。

今回は、カザフスタンの若きヒーローだった彼の死因に迫ります。

「デニス・テン」とは?簡単に説明

1993年にカザフスタンのアルマトイで生まれたデニス・テンは、朝鮮系カザフスタン人として知られる高麗人のフィギュアスケート選手です。

フィギュアスケート競技において、カザフスタンで初めてとなるオリンピックメダルをもたらした人物であるテンは、「カザフスタンの英雄」と称されるほどの人気を博していました。

2013年に開催されたフィギュアスケート世界選手権で2位を獲得し、続く2014年のソチオリンピックでは銅メダリストになったテンは、2015年に世界選手権3位と四大陸選手権の優勝を飾り、2017年の冬季ユニバーシアードでも優勝したことで、カザフスタンの若き英雄としての地位を不動のものにしていましたが、2018年7月19日、暴漢に刺殺され、25歳という若さで亡くなっています。



「デニス・テン」の死に様

2018年7月19日、前年に開催された冬季ユニバーシアードで優勝を飾ったデニス・テンは、地元のアルマトイ中心部で友人と食事を楽しんでいました。

食事を終えたテンは、友人と別れた後、駐車しておいた車で帰宅しようとすると、自身の愛車であるレクサスのミラーを取り外して窃盗しようとしている現場に遭遇したため、窃盗犯の男2人組と揉みあいになり、右大腿部などを複数箇所を刺されてしまいます。

窃盗犯2名が現場から逃走した後、事件現場で意識が無い状態で通行人に発見されたテンは大量に出血していたため、発見後すぐにアルマトイ中央病院の救急センターに搬送されます。

しかしながら病院に到着した際にはすでに意識はなく、2時間にわたる蘇生措置も及ばず出血性ショックにより25歳という若さで死去しています。



「デニス・テン」の死に様の信憑性

カザフスタンの「南の首都」と言われるアルマトイで発生した白昼の殺人事件は、カザフスタン国民だけではなく、世界中のフィギュアスケートファンを驚かせました。

その被害者が未来のある25歳の若き英雄ともいえるデニス・テンであったことが、世界中の悲しみに拍車をかけました。

事件当日、窃盗犯2名が自身の愛車のミラーを盗もうとしている現場に遭遇したテンは、止めようと試みますがそのまま揉み合いになってしまいます。

犯人のひとりは履いていたズボンからベルトを外し、テンの顔面を殴打し始め、もう1名は携帯していたバッグからナイフを取り出して、テンの右太ももを2度に渡って刺し、大きな傷をつけます。

この刺し傷からの3リットルという大量の失血が致命傷となり、事件後、テンは失血死しています。

当時、23歳と24歳だった窃盗犯の男性2人組は、被害者が国民的英雄ともいえる有名なフィギュアスケート選手だったことは知らなかったそうです。

「デニス・テン」の小ネタ等

9歳の時、カザフスタン少年合唱団員に所属していたデニス・テンは、韓国釜山で開催された世界合唱大会で準優勝を飾っています。

プロヴァイオリニストだった実の母親の影響で幼少の頃、5年間に渡り音楽学校に通っていた当時の経験は、後のスケート競技にも大変好影響を与えていたと本人は語っています。

まとめ

フィギュアスケート競技において初めて母国にメダルをもたらしたデニス・テンは、カザフスタンの若き英雄として国民から愛されていました。

痛ましい事件により25歳という若さで永眠した彼の無念を晴らすべく、地元アルマイトでは2020年末に「デニス・テン フィギュアスケートアカデミー」が開校しています。

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