「荒木陽子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「荒木陽子」の死に際とは?日本の人物

アラーキーの愛した美女「荒木陽子」の死に際とは?

この記事では荒木陽子の晩年と死に際について解説していきます。

「荒木陽子」とは?簡単に説明

昭和22年生まれ、旧姓「青木陽子」

エッセイストとして以上にアラーキーこと写真家の「荒木経惟」氏の妻、そして被写体・モデルとして知られているのは間違いないでしょう。

荒木氏の作品に多々登場しており、またその愛が感じられるものになっています。

荒木氏はヌード写真やセクシャルな写真を70年代から多々撮っていますが、彼女の写真からは特別なものが感じられます。

陽子が私を写真家にしてくれた」との言葉通り、60年代の出逢いの頃から彼女を被写体にした写真は多数。

没後もエッセイフォトグラフや展覧会で見る事が可能です。



「荒木陽子」の晩年

夫の過激な写真や文章と個性的な執筆陣で話題を呼んだ白夜書房の『写真時代』でエッセイや映画のコラムを巻末で連載。

エッセイが高評価されると87年には同社から写真エッセイを夫と出版しています。

『酔い痴れて』のタイトルの通り、たわいも無い食品や物を荒木氏が艶めかしく撮影。

その写真に陽子氏も艶めいた“痴情感”溢れる文章をつけたものとなりました。

88年は大きな転機となり「チロ」と名付けられた子猫が荒木家に加入。

子供がいない夫妻にとって大事な家族となりました。

猫嫌いであった夫もコロリとやられ、幸せな時間を過ごしていたようです。

しかしその刻は長くは続きませんでした。



「荒木陽子」の死に様

1990年1月27日、東京都新宿区にある東京女子医科大学病院で死去。

まだ42歳の若さでした。

死因は子宮肉腫によるものだと報じられています。

「荒木陽子」の死に様の信憑性

荒木氏はいまなお健在。

陽子氏を溺愛し、彼女を被写体にした写真は数多く存在します。

それ故にしばしば個展が度々開かれています。

そういった個展でのインタビュー等で当時の様子は窺い知る事が可能でしょう。

彼女の病気が発覚したのは、わずか半年前の89年8月の事だったと言います。

当初は良性腫瘍である子宮筋腫との所見でしたが、手術後に子宮肉腫だった事が判明。

そしてその所見は絶望的なものだったと言います。

一時は回復して最期の1ヶ月は夫に手料理を振る舞い続けたそうです。

その写真は『食事』として纏められています。

入院以前の物はカラーなのに対して最期の1ヶ月の食事はモノクロ。

荒木氏の悲しみが感じられるものとなりました。

90年に愛猫チロの写真集『愛しのチロ』が出版されていますが、陽子氏は出来上がりを楽しみにしていたそうです。

願いは叶いませんでしたが、同著は彼女の棺に収められる事になりました。

まとめ

1990年1月27日、東京都新宿区の東京女子医科大学病院で永眠。

42歳没。

死因は子宮肉腫によるものです。

89年8月に手術を行っています。

当初は良性腫瘍の子宮筋腫との所見だったもの、術後の病理検査で悪性の子宮肉腫だと判明。

余命が幾何もない事が判明しています。

それでも一時回復し、1ヶ月間夫のために手料理を作り続けたそうです。

夫妻にとって大事な子である愛猫チロの写真集の出版が決まっており、その出来上がりを心待ちにしていたもの見ることは叶いませんでした。

荒木氏にとって陽子氏は特別な存在であり、彼女の写真は多く存在。

その個展や彼女との想い出と写真で構成されたエッセイなど多々あり、そこから最期の様子は知る事ができるはずです。

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