この記事では、「池田満寿夫」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「池田満寿夫」とは?
池田満寿夫とは多彩な才能を持つ芸術家で、版画家や画家、彫刻家、作家、陶芸家、映画監督など様々なジャンルで活躍しました。
官能的な作風の作品が多く、エロスの作家と呼ばれることもあります。
画家を志して上京し、色彩銅版画の制作を行うようになります。
東京国際版画ビエンナーレ展で文部科学大臣賞を受賞し注目されました。
30代でニューヨーク近代美術館で日本人初となる個展を開き、ヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際大賞も受賞しています。
「池田満寿夫」の晩年
池田満寿夫は、晩年にも精力的に創作活動を行っていました。
1977年に「エーゲ海に捧ぐ」という小説を執筆し、芥川賞を受賞しています。
たった5日間で書き上げた作品で、画家が芥川賞を受賞するのは初めてのことでした。
官能的な作品で、100万部を超えるベストセラーとなっています。
また、この作品は池田自身が脚本と監督を務め、映画化もしています。
キャストは全員がイタリア人で、興行的にも成功しました。
また、テレビのクイズ番組などにも出演しており、人気となっています。
それから晩年には陶芸に没頭し、般若心経シリーズを発表しています。
「池田満寿夫」の死に様
池田満寿夫は、1997年に熱海市の自宅で亡くなります。
長年一緒に暮らしていたパートナーの世界的ヴァイオリニスト佐藤洋子の前で、倒れました。
その頃、熱海では地震が起きていました。
地震に驚いた愛犬が飛び掛かってきたため転倒し、救急車で病院に搬送されます。
治療が行われましたが目覚めることなく、そのまま帰らぬ人となったのです。
享年63でした。
「池田満寿夫」の死に様の信憑性
池田満寿夫の死因は、急性心不全です。
転倒してから30分も経たないうちに亡くなってしまったといいます。
池田満寿夫は愛犬家として知られ、8匹の犬を飼っていました。
ずっとパートナー関係にあった佐藤洋子とは、内縁関係で正式には入籍していません。
19歳の時に結婚した11歳年上の女性と、離婚が成立していなかったためです。
別の女性と同居したり、米国人女性と海外で入籍したこともあったようですが、晩年は佐藤洋子と一緒に暮らしていました。
まとめ
池田満寿夫は、晩年も創作活動を積極的に行っていました。
転倒して急性心不全を起こし、そのまま亡くなってしまいます。
享年63です。