わたし普通のおっちゃんにもどりたい「芦屋雁平」の死に際とは?
この記事では芦屋雁平の晩年と死に際について解説していきます。
「芦屋雁平」とは?簡単に説明
西部もしくは芦屋3兄弟の次男が「芦屋雁平」氏です。
兄は『裸の大将放浪記』などで有名な「芦屋雁之助」弟は長寿で現在も存命中の「芦屋小雁」両氏です。
西部3兄弟と呼称されるのは本姓が西部のため。
正確には雁之助氏の上に長兄がいましたが、芸人や俳優を目指さず地元京都の交通局勤務を選択しています。
本名は「西部順一」。
関西在住経験がある方なら誰でもご存知といえる七ふく製薬提供の超人気番組『番頭はんと丁稚どん』に兄弟とともに出演。
出世作になりました。
「芦屋雁平」の晩年
1977年9月に人気絶頂期の『キャンディーズ』が「普通の女の子に戻りたい!!」は流行語になりましたが、雁平氏も「普通のおっちゃんに戻りたい」願望が往年時からあり、共演者にその夢を具体的に語っていました。
その夢とは趣味のオートバイで自由気ままに旅したいという内容の話だったと言います。
2004年4月7日に兄・雁之助氏がうっ血性心不全で死去。
8歳上の兄の死になにか思うことがあったのかもしれません。
2005年秋、旧知の「かしまし娘」の結成50周年記念舞台『清く!?正しく!?美しく!?』に出演。
9月の名古屋公演を終えた後の10月京都南座の同公演を持って芸能界を引退しています。
「芦屋雁平」の死に様
2015年12月11日に死去。
76歳没。
地元の京都で死去。
急性心不全でした。
一般人に戻って約10年が経過しており、デイリースポーツなど関西のスポーツ新聞でも訃報は小さい扱いでした。
「芦屋雁平」の死に様の信憑性
2005年のかしまし娘の結成50周年記念舞台に参加していますが、同時に自身の芸能生活50年目でもありました。
息子も娘も巣立っており、孫もできた事でスッパリとやめる事ができたと思われます。
節目の年で区切りが良かった事もありますが、それ以上に前年春の兄・雁之助氏の死は決断に大きな影響を与えたと言っていいでしょう。
05年10月で引退して一般人に戻っており、闘病生活など詳細は解っていません。
判明しているのは四十九日経過後に樹木葬を地元京都で行う程度です。
まとめ
2015年12月11日に京都で永眠しています。
76歳没。
死因は急性心不全によるものでした。
2005年に自身の芸歴50年を区切りとして芸能界から身をひいています。
最後の仕事は旧知の仲であるかしまし娘の結成50周年記念舞台でした。
9月の名古屋・名鉄ホール公演後、10月の京都・京都南座の公演をもって引退しています。
念願の普通のおっちゃんに戻って悠々自適な生活をしていたと思われますが詳細は不明。
一般人に戻って10年以上が経過しており、具体的な情報もほとんどないのが現状だと言えるでしょう。