キレンジャー・大岩大太「畠山麦」の死に際とは?
この記事では「畠山麦」の晩年と散り際について解説していきます。
「畠山麦」とは?簡単に説明
畠山麦の名前を知らなくても“カレー好き”と“大ちゃん”この2つのキーワードからキレンジャーの事だと想像がつく方が多いことでしょう。
『秘密戦隊ゴレンジャー』の「キレンジャー・大岩大太」で人気を呼びました。
漫画や小説において彼のキャラクターは多々インスパイアされています。
3枠は太っている大食漢で九州弁を使う、イメージカラーが黄色の人物はカレー好きなどのキャラクターを定着させた人物と言えるでしょう。
しかし大人気だったが故にキレンジャー・大岩大太=畠山麦の図式が定着化。
それに苦しめられる事になっていきます。
「畠山麦」の晩年
アカレンジャーの「誠直也」氏やアオレンジャーの「宮内洋」氏はゴレンジャー出演前から主役を経験しており、その後も多くの作品に出演しています。
またモモレンジャーの「小牧リサ」氏は結婚で早期に引退、ミドレンジャーの「伊藤幸雄」氏は翌々年には『バトルフィーバーJ』でバトルコサック役を演じていますが、デビュー作の『ウルトラマンレオ』からずっとレギュラー出演作があった状態でした。
これに比較して畠山氏はキレンジャー役を舞台で1度降板していますが、ゴレンジャー終了後はかなり行き詰まった状態だったと言われています。
仕事がない事を不憫に思った「平山亨」氏が宮内氏の『快傑ズバット』に「1回だけのゲスト依頼で申し訳ない」がと出演依頼したところ、大喜びで快諾した話は特撮ファンの間では有名。
そんなおり特撮俳優の同窓会番組とも言われた『特捜最前線』への出演が決定。
旧知の誠氏と再会を楽しみにしていたそうです。
「畠山麦」の死に様
1978年7月13日、自宅マンションで亡くなっています。
34歳没。
死因は首吊り自殺によるものでした。
「畠山麦」の死に様の信憑性
ゴレンジャーの降板劇と再登板までの過程についてはミドレンジャーの伊藤氏が現場であった出来事を暴露し、新たな事実が発覚しています。
その一方で自殺についての情報は今後も出てこないでしょう。
インターネットが普及していない時代には信憑性の無い噂も多く挙げられており、ゲイで痴情の縺れから自死を選んだ説が有力だとまことしやかに流れるほどでした。
2000年になって誠氏のインタビューにより、亡くなった日のシチュエーションが明らかにされました。
特捜最前線第71話は畠山氏の出演が前提。
2人の絡みは多くあったと想像がつきます。
NG連発をしている畠山氏を気遣って翌日飲みに誘ったと言います。
しかし翌日も「村山新治」監督から畠山氏はなかなか演技のO. K. が貰えず、翌日の約束をして帰宅。
しかし翌日のロケ現場に現れる事はありませんでした。
誠氏が帰宅後に畠山氏が気を病む事があったのかもしれません。
まして翌日は火葬場での撮影。
突発的に死を感じてしまったのかもしれません。
いずれにせよ遺書もなかったため衝動的な行動を起こさせる何かがあったのでしょう。
まとめ
1978年7月13日、自宅マンションで逝去。
34歳没。
死因は首吊り自殺によるものでした。
監督に演技を酷評され、翌日は火葬場でのロケ開始だっただけに衝動的に死を選んだ、仕事に行き詰まった、プライベートで問題を抱えていた等多数の説が挙げられています。
遺書もなくどの説も推測。
畠山氏自身にしか死を選んだ理由はわかりません。
今後も真実が明らかになる事はないでしょう。