清楚な日本美人から妖艶な東洋美人まで演じた「津島恵子」の死に際とは?
この記事では津島恵子の晩年と死に際について解説していきます。
「津島恵子」とは?簡単に説明
ある時は清楚な日本美人、ある時は妖艶なダンスで男を魅了するストリッパー、相反する役柄を演じていたのが印象的です。
1947年に「原節子」氏が主演の『安城家の舞踏会』でデビューしており、松竹の看板女優の一人として1950年代の映画界で活躍を見せています。
女優デビュー後に中退していますが『東洋音楽学校』入学歴のある才媛でもありました。
品川駅で見初めた美女が松竹の『大船撮影所』でダンス講師を務めている事を知った「吉村公三朗」監督に口説かれる形で女優デビューしています。
「津島恵子」の晩年
1957年の『この二人に幸あれ』出演後に結婚。
映画界の一線からは姿を消すものテレビドラマに活躍の場を移すと30年以上に渡り、各局で多くの役を演じています。
晩年まで演じた代表的な作品としては『牟田刑事官事件ファイル』の主役牟田一郎刑事官の夫人役が挙げられます。
主役の「小林桂樹」氏のとともに長年に渡り常時視聴率15%を記録した人気番組を支えた一人と言っていいでしょう。
またプライベートでは老いてなお健在。
週2回のテニスを楽しむなど若い頃にダンスで培った体力を発揮していたようです。
しかし喜寿を目前に控えた02年。
NHK連続ドラマ小説『さくら』でヒロインの父方の祖母である「松下淑子」を演じたのを最期に女優として表舞台から姿を消しています。
「津島恵子」の死に様
2012年8月1日10時20分に東京都中央区の聖路加国際病院で逝去。
86歳没。
死因は胃癌と公表されています。
「津島恵子」の死に様の信憑性
その死が報道されたのは2012年8月3日の事でした。
既に近親者による告別式が行われており、長年連れ添った「森伊千雄」氏が喪主を務めた事が報じられています。
会見でわずかながらも闘病生活についても触れられていました。
胃癌を患った時期は不明ですが、ここ2年は入退院を繰り返す日々だったそうです。
同時に5年前からは認知症の症状が出て苦しんでいた事も明らかになりました。
そして彼女の死に際は穏やかに眠るような最期を遂げた事が明かされています。
まとめ
2012年8月1日10時20分、東京都中央区の聖路加国際病院で永眠しています。
86歳没。
死因は胃癌でここ2年は入退院を繰り返す日々だったそうです。
また07年から認知症の症状が発現していた事が明らかにされています。
女優としての最期の仕事は02年。
認知症が彼女の引き際に影響を及ぼしたかについては解っていません。