記者が空気を読んでどうする?「竹田圭吾」の散り際とは?
この記事では竹田圭吾の晩年と散り際について解説していきます。
「竹田圭吾」とは?簡単に説明
月曜朝の『やじうまプラス』日曜日夜の『Mr. サンデー』週末から週初め、休日の夜、もしくは出勤前にどちらかの番組で竹田氏を目にした記憶がある方は多いのではないでしょうか。
『Newsweek』日本版の編集長を長らく務めていましたが、フリーになってからの方がテレビでの露出が増えた分、認知度がぐんと上がったのは間違いないところです。
「竹田圭吾」の晩年
独立後はテレビへの露出が増えるとともに、ツイッターでも頻繁に呟きを見せています。
2013年4月29日夜、モスクワでのプーチン安倍会談でTBS記者がプーチン大統領を激昂させた事件がありました。
ネットでは“空気を読め”と批判的な意見が大多数のなか、竹田氏は「アホか。
ブチ切れさせてなんぼでしょうが」と持論を展開、話題になりました。
しかしそれから僅か半年も経たないうちにテレビやラジオから姿を消すことになります。
同年9月22日「2013年ドイツ連邦議会選挙」の取材中に腹部にかつて感じたことのない痛みが生じたと言います。
帰国後に黄疸。
これが病魔との闘いの始まりとなるのでした。
「竹田圭吾」の死に様
2016年1月10日に永眠。
51歳没。
死因は膵臓癌によるものでした。
13年10月に生じた黄疸。
検査の結果は膵臓癌ステージ3だったと言います。
即手術、翌春には回復した姿をテレビ、ラジオで披露。
まずは半年を乗り切ればと予後に明るい兆しが見えるとされるも再発。
抗がん剤治療で寛解を目指しました。
抗がん剤の副作用でカツラを着用していると告白したのは15年9月27日のことです。
「竹田圭吾」の死に様の信憑性
竹田氏自身は15年11月2日のツイッター上で激ヤセを心配したフォロワーに、激ヤセ=癌の進行、症状の悪化とは限らない、見た目で進行していると判断されると戸惑ってしまうと応えていました。
とはいっても竹田氏の最後のテレビ出演となった同年12月27日『Mr. サンデー』では多くの視聴者から体調を懸念する声が挙がっています。
画面上で顔色の悪さや声を振り絞るように出していたのを多くの方が感じていたでしょう。
実際に竹田氏は収録中に座りなおそうとして倒れてしまった事実を共演者の中江有里子氏が語っています。
明けて16年1月4日のJ-WAVE『Jam the WORLD』では翌週の放送できちんと番組を降板する理由を伝えたいと話していたもの逝去でそれは叶いませんでした。
ラジオ局へはタクシーで向かい、車椅子でスタジオ入り。
気丈に収録は済ませたもの帰宅後は自力で水も飲めないほど精根尽き果て、緊急搬送されることになりました。
まとめ
竹田圭吾氏は2016年1月10日朝方に永眠しています。
51歳没。
死因は膵臓癌によるものでした。
13年9月に発覚した膵臓癌は手術、抗がん剤治療でも進行を抑えることはできませんでした。