「吉田茂」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「吉田茂」の死に際とは?日本の人物

この記事では、吉田茂の晩年や最期について紹介します。

吉田茂とは?

吉田茂とは日本の外交官及び政治家で、内閣総理大臣を務めた人物です。

第二次世界大戦後の混乱期において、日本の政治の方向性を示しました。

外務大臣や農林大臣なども務めています。

太平洋戦争中は親英米派だったため、軍部と対立することが多くありました。

戦後は占領軍の指導の元で、日本の立て直しを図ります。

1951年にはサンフランシスコ講和条約を締結しています。

米国との安全保障条約も結んでおり、日米安保の基礎となりました。



吉田茂の晩年

吉田茂は、大磯にあった別荘を本邸として晩年を過ごしています。

この別荘は吉田茂の養父である吉田健三が建てたものです。

養父が亡くなったため跡を継ぐことになりました。

吉田茂は大磯の別荘を非常に気に入っており、内閣総理大臣時代にも暇を見つけては訪れていたといいます。

政界を引退して大磯を本邸とした後も、吉田の元には政財界の要人が大勢訪れたといいます。

その様子は大磯詣でとも呼ばれていました。

また、海外からの賓客をもてなす場として、邸宅を迎賓館に改装してもいます。

世界から賓客が訪れることも多かったといいます。

また、地元の人々とも親しく触れ合っており、ひいきにしていたお店なども沢山あったといわれています。

1964年には大勲位菊花大綬章を受賞しており、地元の子ども達がそのお祝いのために駆けつけたというエピソードも残されています。

回顧録などの著述も行っていました。



吉田茂の死に様

吉田茂は1967年に亡くなります。

89歳でした。

数か月前に心筋梗塞を発症したりもしており、徐々に体が衰えていたのは間違いないようです。

亡くなる前日、娘に富士山が見たいと言ったといわれています。

吉田茂の死に様の信憑性

吉田茂が亡くなった時、医師と看護師数名がそばにいました。

ただし、突然のことだったので家族は臨終に立ち会うことができなかったといいます。

しかし、非常に穏やかな顔をしており、眠るように亡くなったようです。

本人の生前の希望により、死後にキリスト教の洗礼を受けています。

その後、日本武道館において国葬も営まれました。

まとめ

吉田茂は晩年を大磯で過ごし、政財界の要人や海外からの賓客を迎えることも多くありました。

地元の人々とも交流しており、大磯で充実した日々を送っていたことが伺えます。

そして、89歳で亡くなりました。

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