体調不良に苦しめ続けられた「小口絵里子」の死に際とは?
この記事では小口絵里子の晩年と死に際について解説していきます。
「小口絵理子」とは?簡単に説明
元ニッポン放送アナウンサーで主に昼の番組を担当していました。
ラジオは昼より夜の方が聴衆可能エリアが広がるのは既知の事実。
Radikoが生まれたのは2010年。
関東近郊に居住していない方には馴染み薄い女子アナかもしれません。
週末に「三宅裕司」「小林克也」両氏の音楽番組に出演しており、関東近郊の方は外出時に彼女のトークを聞いた事がある方も多いはずです。
また既に配信終了の『モンスターハンター・フロンティア・オンライン』のCMで「ムツゴロウ」氏との共演を覚えている方も多いのではないでしょうか。
「小口絵理子」の晩年
念願叶ってニッポン放送に入社したもの、5年目にパセドウ病で長期療養を強いられて無念の退社。
しかしフリーアナウンサーとして復帰後は古巣の番組にも出演を果たしています。
10年には子宮筋腫を患いますが、子宮肉腫とは違い良性腫瘍のため3ヶ月程度で現場へ戻ることができました。
11年8月31日『小口絵理子のアナウンススクール』を開校し自ら校長へと就任。
一般的な就職活動のTPOからボイストレーニングまで指導内容は多岐に渡り、同活動を通じて後進の育成に努めています。
但し気になったのはプロ養成コース以外の申し込みを打ち切った事、さらに加えてホームページ更新の頻度が落ちていった事でしょう。
12年春以降は更新が途絶えてしまいました。
「小口絵理子」の死に様
2013年12月16日6時頃に逝去。
39歳没。
死因は卵巣癌によるものでした。
詳しい事については殆ど公表されていません。
「小口絵理子」の死に様の信憑性
彼女の死はクリスマスイブの早朝に『高嶋ひでたけのあさラジ!』で高嶋氏の口から亡くなった事実が公表されています。
高嶋氏はそんなに進行していたとは…と絶句しており、癌ではあったもの直近の状況については知らなかったようです。
各紙の報道でも闘病生活はほとんど同じ文言で病死の事実が記されただけでした。
それに通夜と葬儀は本人の意向で近親者のみの密葬。
お別れの会の予定がない事が報じられた程度です。
公の場での姿は12年3月12日の『国際コムギ大使』としてイベントに出演した時のもの。
まだこの時点では特別変わった様子は窺いしれません。
しかし『小口絵理子のアナウンススクール』のホームページで彼女の活動報告は同年3月分で停止。
4月上旬の有楽町さくら祭りで司会の予定までしか記されていません。
6月には『別冊正論17号』に寄稿。
そのタイトルは『何があっても笑顔でいよう。「病は気から」「嘘からでた実」』であり意味深長なものでした。
このため12年晩冬から13年春に深刻な事態が発生した可能性が高いと推測できるでしょう。
まとめ
2013年12月16日6時頃に逝去。
39歳没。
死因は卵巣癌でした。
かねてから癌で闘病生活をおくっていたと報道されています。
古巣のフジサンケイグループの『サンケイスポーツ』を含んでほぼ全紙が共通の文言。
ほとんど公表できる情報がなかったのが事実でしょう。
自身のスクールのホームページでは12年春から自身の活動報告とスケジュールが更新停止になっています。
そのためこの前後に癌の告知、闘病が始まったのかもしれません。