漫画家は過酷な商売を証明した1人?「みず谷なおき」の死に際とは?
この記事ではみず谷なおきの晩年と死に際について解説していきます。
「みず谷なおき」とは?簡単に説明
『ワイルド7』などアクション劇画で知られる「望月三起也」氏のもとで研鑽を積みアシスタント修行を行う若き日々を過ごします。
師匠の縁深い週刊少年キングは既に休刊していた事もあってか、まずサンデーの2軍と呼ばれていた『週刊少年サンデー増刊号』で漫画家としてスタートを切ると『ぱわふる宅配便』で週刊誌デビューを短期集中連載で早々に飾った事から期待は大きかったと予想されます。
その一方で生来抱える体調不良により、週刊連載には身体が耐えきれない弱点を持っていました。
「みず谷なおき」の晩年
小学館からは期待されていたもの体調は如何ともし難いものがあり、それが永らくサンデー2軍、週刊連載予備軍である増刊号で連載を続ける要因になっていたのは間違いないでしょう。
ジャンプやマガジンと違いサンデーは09年に『ゲッサン』が創刊されるまで月刊誌はありませんでした。
『アオイホノオ』でお馴染みの「島本和彦」氏らサンデーの中堅連載陣が積極的起用された事で知られる『月刊少年キャプテン』に90年代は腰を据えて執筆活動を開始。
しかし肝心の体調は安定せず病弱で寡作だったとされます。
93年前後からはじまったスランプによる休筆から立ち直った矢先にみず谷氏を病魔が襲うのでした。
「みず谷なおき」の死に様
1999年2月8日、就寝中に死去。
38歳没。
死因は突然死とされ詳しい事は公表されていません。
「みず谷なおき」の死に様の信憑性
1999年2月17日に開設されたホームページ『みず谷なおきの世界』において追悼ページの項目があり、そこで訃報としてみず谷氏の逝去の報告がされています。
8日の就寝中に突然死、10日には葬儀が行われた事が報告されています。
スランプから立ち直り、98年に発表した「バーバリアンズ2」で漫画家として再起する決意を固めており、続編をはじめ新作の構想を多々持っていたそうです。
それと同時に休筆から未完結となった作品群に手を入れるため94年に中断した『Hello ! あんくる』の再開準備を進めている最中に病魔に屈してしまいました。
またアシスタントを雇わずに1人で取材、コンテ、下書き、筆入れまでこなすスタイルに拘っており『週刊少年サンデー』の連載を断った過去も明かされています。
また前述した行為を1人で行う場合、例え遅筆であっても身体への負担は相当なものがあったのは間違いないでしょう。
まとめ
1999年2月8日に自宅で就寝中に体調に異変を生じて突然死しています。
38歳没。
何が原因であるかは不明、しかし元々病弱な体質だった事は良く知られた話でした。
5年に渡るスランプで漫画家廃業を考えたもの、98年に再起。
自身の新たな展開を視野に見据えた中での急逝となっています。