「川島なお美」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「川島なお美」の死に際とは?日本の人物

川島なお美の死因とは?

「川島なお美」とは?簡単に説明

昭和35年に愛知県名古屋市で生まれた川島なお美は、パティシエの鎧塚俊彦の妻であり、女優やタレントとしても活躍していました。

青山学院大学在学中から女子大生DJと呼ばれて芸能界で活躍しており、昭和57年から人気テレビ番組「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演したことでその人気に拍車がかかっていきます。

平成5年にヘアヌード写真集「WOMAN」を発売したことがきっかけで、長らく定着していた女子大生タレントのイメージから妖艶な女優へと脱却することに成功した川島は、それから4年後には大胆なベッドシーンを披露したことが話題となったテレビドラマ「失楽園」に主演しています。

この失楽園の大ヒットにより大人の女優として認められた川島でしたが、平成25年に肝内胆管癌と診断されたことにより手術を受け、その後代替医療などにも取り組みましたが、治療の甲斐もなく2年後に永眠しています。



「川島なお美」の死に様

平成25年に胆管がんと診断された川島なお美は「女優の身体は楽器」と信じており、がんと診断された後も身体にメスを入れるのを拒み続けました。

身体に傷をつけない独自の治療方法を模索していた川島は、東京中の大きな病院を8か所も回った末に、とうとう命を預けることができると思える医師との出会いを果たすことになります。

そして、身体の傷を限りなく抑えることができる治療法である内視鏡カメラで手術することを決断し、合計12時間にも及んだ手術は一旦は成功しています。

川島自身もブログなどで「完治した」と述べていたものの、翌年になると、体中に転移していたがんが発見されてしまい、余命1年以下と宣告されてしまいます。

しかしながら余命については本人に伝えられることはなく、抗がん剤治療を拒否した川島は、以降も代替医療に励みながら芸能活動を続けていくことを決意します。

このころ激やせした川島がマスメディアを賑わせることになりますが、平成27年9月24日、54年間の生涯に終わりを告げています。



「川島なお美」の死に様の信憑性

平成25年に胆管がんと診断されたものの内視鏡による手術が成功した川島なお美は、翌年がんが再発して複数の箇所に転移していると診断されてしまいます。

再発が宣告された後も完全治癒を信じ続けていた川島は、それまで以上にがんのことを学び続け、免疫療法や漢方、マイクロ波治療などのあらゆる民間療法を実践していました。

自身の懸命の闘病生活が続く中、川島の愛犬シナモンが15歳で肝臓がんを患い亡くなってしまい、これにより心身共にさらにダメージを受けることになってしまいます。

さらにこのころになると、がんの末期症状により腹水が溜まり始め、それにより激しい苦痛にも耐えなければならない状況に陥りますが、それでも川島は芸能活動を休止せず、激やせした姿を隠すことなくマスコミに公表してファンを驚かせています。

そして同時期に舞台の出演を控えていた川島は、舞台挨拶をキャンセルするどころか、舞台挨拶の前には腹水を抜いて、解熱剤と点滴を打って命がけで仕事に取り組んでいたそうです。

しかしながら、9月17日に予定されていた長野公演の開演直前に川島の身体は突然動かなくなってしまい、降板を余儀なくされてしまいます。

この1週間後に永眠することになる川島は、最後の最後まで女優であり続けようとしたのでした。

「川島なお美」の小ネタ等

大ヒット作のTVドラマ版「失楽園」では、主人公古谷一行との激しいベッドシーンが話題となりましたが、この撮影の際には「子宮が呼吸できない気がする」という理由から、川島なお美は撮影中に自分から前張りを取ることを決意したと言います。

まとめ

最期まで女優であり続けようとした川島なお美は、ワインと犬と葉巻をこよなく愛し、数多くのひとたちから愛され続けた本当の女優でした。

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