あるときは動物園の飼育員?はたまたあるときは猫?
ワタナベ・ノボルの正体とは?「安西水丸」の散り際を解説。
この記事では安西水丸の晩年と散り際について解説していきます。
「安西水丸」とは?簡単に説明
古くからイラストレーターとして名前を馳せていますが、その名前を知らない人にとっては「村上春樹」氏の著作本の挿絵を担当していた人物が端的な紹介にあたると思われます。
村上氏とは昔からツーカーの仲であり共著を多数出版。
また村上作品に多々登場する「ワタナベ・ノボル」としてもご存知の方は多いことでしょう。
これは安西氏の本名であるとともに劇中では猫。
人間だけではなく動物であったりする時もあり、多くの作品で活躍を見せました。
「安西水丸」の晩年
2013の1月10日から20日まで東京都港区青山の「space yui」で開催された展覧会は『1984〜2013 vol. 1: MIZUMARU ANZAI ORIGINAL WORKS』は自分史、自分でも忘れていた作品群を掘り起こす30年に渡るイラストレーターの集大成となりました。
翌21日からは第2弾として1987年からの『SILK SCREENS』を公開展示。
シルクスクリーン作品を中心に四半世紀の歩みに触れています。
古希を過ぎてもなお精力的な活動を行いつつ、翌14年を迎えています。
「安西水丸」の死に様
2014年3月19日21時7分に入院先の鎌倉市内の病院で永眠。
71歳没。
死因は脳出血によるものだと公表されています。
「安西水丸」の死に様の信憑性
倒れたのは鎌倉にある別邸のアトリエ。
長期に渡り執筆活動をする時には鎌倉山にあるアトリエでしていたのは、過去にも記事としてその現場が写真に収められています。
また長期滞在する故に最初にカレーを作り置く件も有名でした。
経過としては3月17日午後に執筆活動をしている最中に倒れて、救急車で市内の病院に運ばれ以降2日に渡り闘病するも回復は叶いませんでした。
鎌倉のアトリエは鎌倉山の高台にあるがゆえ、応急措置、緊急搬送されるにも多少なりと時間が掛かります。
一方で自宅と仕事場は東京都港区青山の都心。
一刻を争う脳内出血を発症したのが別邸であったのはある意味不運だったのかもしれません。
また多忙で不規則な生活が日常化していたことについても言及されますが、17日当日の朝も普段と変わりない様子だったとされます。
因果関係は証明できませんが喫煙者で知られ、葉巻やパイプも使用していたため、脳出血するリスクは高かったのは言うまでもないところでしょう。
まとめ
2014年3月19日21時7分に鎌倉市内の病院で逝去。
71歳没。
同17日午後に鎌倉のアトリエで執筆活動中に倒れ、緊急搬送されるも回復することはできませんでした。
愛煙家として知られており、喫煙習慣が脳出血のリスクを高めた可能性はあると言えるでしょう。