美人薄命、美女プロゴルファーとして注目された「大山亜由美」の散り際とは?
この記事では大山亜由美の晩年と散り際について解説していきます。
「大山亜由美」とは?簡単に説明
鹿児島県出身。
父に連れられて9歳からゴルフに触れる機会があり、そこからキャリアスタート。
本格的にゴルフを始めたのは鹿児島の私学の雄樟南高校入学後からだったと言います。
といえど1年次から秋の国体に3年連続出場し、九州新人戦やチャレンジゴルフでも優勝。
この時点で九州の高校生アマでは一目置かれる存在でした。
ジュニアとプロの間には厚い壁が存在するのは既知のとおり。
4回目の挑戦でプロライセンス取得。
その後16年に芸能事務所の『オスカープロダクション』と契約したことで全国的な知名度を得ました。
「大山亜由美」の晩年
15年にプロライセンスを取得しますが、女子レギュラーツアーに参戦することはなかなか厳しい状態でした。
同年のステップアップツアー「うどん県レディース 金陵杯」でプレーオフ敗退で2位。
さらには翌年にモデル事務所として有名な『オスカープロダクション』と契約したことで一躍知名度が上昇、見た目だけではなく長身の大型選手として更なる躍進が期待されていました。
しかし知名度からスポンサーの主催者招待枠での出場が大幅に増えたわけではありません。
16年はレギュラーツアー5試合出場で予選落ち。
17年は2試合ともに予選落ちの辛酸を舐めています。
ステップアップツアーで着実に腕を磨き、今年こそはと思われた18年に彼女を病魔が襲いました。
「大山亜由美」の死に様
2019年5月16日、入院先の鹿児島県内の病院にて永眠。
25歳没。
死因は子宮頸癌の憎悪によるものでした。
「大山亜由美」の死に様の信憑性
2018年3月の『2018年 Tポイントレディス』で結果が出せなかった後、レギュラーツアーから姿を消すことになりました。
下部ツアーにも参戦していないため、口さがない人達により“引退して芸能界へと転身したのだろう”と噂が飛び交いもしています。
しかし実際には4月に昏倒して倒れ、子宮頸癌が発覚。
そして残酷にも既に末期の症状でリンパ節はもとより骨へも転移していたと言います。
手術での寛解は絶望的なため、広島と鹿児島で化学治療と最先端医療の高精度放射線治療を受けるも、良化せずに入退院を繰り返すことになりました。
最後まで復帰への情熱を燃やし続け、最後まで車椅子姿でトレーニングを続けようとしていたとされます。
まとめ
2019年5月16日、鹿児島県内の入院先で逝去。
25歳没。
死因は子宮頸癌の進行で癌が全身に転移し憎悪したことによるものでした。
発覚したのは約1年前でその時には既にステージ4で骨にまで転移が進んでいたとされます。
実兄にも癌だと打ち明けたのが亡くなる2か月前。
ツアー仲間や同郷の先輩・後輩も病状は亡くなるまで知らなかったそうです。
手術で全摘することが一縷の望みだったとされますが、予後が不明瞭なのに加えゴルファー人生を断念しなければならないため、その方法を選ぶことはありませんでした。