人間山脈を遙かに凌駕した体躯の持ち主「ロバート・ワドロー」の散り際とは?
この記事ではロバート・ワドローの晩年と散り際を解説していきます。
「ロバート・ワドロー」とは?簡単に説明
日本人の想う巨人といえば、やはり人間山脈「アンドレ・ザ・ジャイアント」氏をイメージする方が多いでしょう。
しかし彼でさえ身長は223センチでした。
「ロバート・ワドロー」氏の身長はそれを遙かに凌駕する272センチだというから驚きのひと言でしょう。
例に漏れず脳下垂体の異常が原因だとされ、多くの同病の人同様に死ぬまで身長が伸び続けていたとされます。
前述したアンドレ氏も40歳を越えてなお身長が伸びている事を悩んでいたそうです。
「ロバート・ワドロー」の晩年
1936年に高校を卒業すると現在は南イリノイ大学に吸収されたイリノイ・シャートレフ大学へ入学すると法律学を専攻。
その傍らで世界最大のサーカス団として知られた『リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス』の巡業に参加したことで全米にその名前を知られていくことになりました。
巨人症の人は人前へ出る・見世物になるのを嫌うなか、彼は積極的に参加しコンプレックスを克服しようとしていたのかもしれません。
しかし多忙な日々は彼の体躯に負担をかけることになったのは間違いないでしょう。
「ロバート・ワドロー」の死に様
1940年7月15日にミシガン州マニスティで永眠しています。
22歳没。
死因は10日ほど前にミシガン州で開催された『ナショナルフォレストフォレストフェスティバル』で負った怪我がもとの敗血症によるものでした。
「ロバート・ワドロー」の死に様の信憑性
彼の命を奪うことになったのはその多忙な日々であることは疑いありません。
現在アメリカは50州ですが、この当時は48州。
そのうちの41州800以上の都市を20歳からの数年で靴会社の代表として訪れていました。
前述した世界最大のサーカス団だったリングリングサーカスの巡業にも参加。
イリノイ州のシャトーレフ大学へ入学したもの多忙で通学できない日々が続きます。
それゆえに巨人症の弊害をモロに受けることとなりました。
通常生活にも副え木が必要であり、多々インフルエンザに悩まされていたように免疫力も弱かったとされます。
直接の死因となったのは当時自動車産業などで活気のあったミシガン州でのイベントでのこと。
副え木の不調から膝を擦ったことで炎症が発生してしまいます。
そこから感染症となり、末端の右足首が酷く化膿。
緊急手術ならびに輸血したもの回復せず意識不明となり、死去することになりました。
まとめ
1940年7月15日にミシガン州マニスティの病院で永眠。
22歳没。
死因は敗血症によるものでした。
同月4日のミシガン州の祭りに参加して膝に傷を負ってしまいます。
元々免疫力が低かったとされ、その後深刻な化膿が右足首を襲いました。
手術と輸血で対処したもの回復せずに亡くなりました。
自ら積極的に見世物となることを選び、サーカス団の巡業や靴会社の代表として多忙な日々を過ごしていたのが仇となったのは間違いないでしょう。