佐山タイガーとの名勝負数え歌は伝説に「ダイナマイト・キッド」の散り際とは?
この記事ではダイナマイト・キッドの晩年と散り際について解説していきます。
「ダイナマイト・キッド」とは?簡単に説明
英国仕込みのグラウンドとカナダ・カルガリー仕込みのプロレスを融合させて、新日本プロレスのジュニアヘビー級戦線で突出した働きを見せました。
誰もが知っている通り「佐山聡・初代タイガーマスク」との激闘は人気を呼んでいます。
それ以前にも新日マットでは「藤波辰巳」「木村健悟」両氏と熱闘を繰り広げていましたが、佐山氏との試合以上に噛み合ったものにはなりませんでした。
全日本プロレスに移籍した時も同様。
「三沢光晴・二代目タイガーマスク」とは体格差のため噛み合わない試合になったと明かしています。
「ダイナマイト・キッド」の晩年
ステロイドや筋肉増強剤、興奮剤はもとより鎮痛剤など米国マットでは日常的に使われていました。
90年代後半からは有名プロレスラーが薬物を原因とした症状で自殺するなど問題になっていました。
その薬に苦しむことになったのはキッド氏も同様。
91年に全日本プロレスで一度、引退していますが既にその時には体調の悪さが見受けられました。
現役復帰後96年にみちのくプロレスに参戦していますが、晩年どころか既にこの段階で痩せ細り、かつての面影は消え失せています。
その2年後の98年からは歩行困難となり、車椅子生活を強いられることになりました。
また従兄弟の「デイビーボーイ・スミス」氏は2002年にステロイドの使用過多から心臓発作で亡くなっています。
「ダイナマイト・キッド」の死に様
2018年12月5日に死亡。
当日が誕生日であり、60歳になったばかりでした。
死因は公表されていません。
2013年には脳卒中で倒れており、心臓病も患っていたとされます。
「ダイナマイト・キッド」の死に様の信憑性
現役時代の若い頃から薬で身体を作っていたのは有名な話。
日本人プロレスラーでもキッド氏のテリトリーであるカルガリーで海外武者修行と言いつつ、ステロイドで身体を作り、ひとまわり大きくなって帰国するのは常套手段。
キッド氏の場合はステロイドを含む筋肉増強剤等を複数種類使用していたとされます。
また飲むタイプの薬を大量のアルコールと同時摂取したことで肉体はボロボロになっていきました。
また元々身体を投げ打つようなファイトスタイルのため、怪我は耐えることがありませんでした。
そのため車椅子生活を送る理由となった椎間板をはじめ様々な箇所を怪我しています。
その怪我により今度は鎮痛剤を大量に服用して試合に臨むため、鎮痛剤での副作用で悩む選手も多いようです。
まとめ
2018年12月5日に死去。
60歳没。
死因は公表されていません。
2013年に脳卒中を発症。
亡くなる2年前には介護施設から日本の佐山タイガーを特集したNHKの番組に出演しています。
既に98年から車椅子生活であり、全日本プロレスで引退宣言をした91年には体調が相当良くなかったことが見て取れるでしょう。
激しいファイトスタイルゆえの怪我の多さと悪化が仇になりました。
またステロイドの後遺症で苦しんでおり、心臓もわるかったとされます。