今もなお根強く南米での生存説が残る「アドルフ・ヒトラー」の散り際とは?
 この記事ではアドルフ・ヒトラーの晩年と最期について解説していきます。
「アドルフ・ヒトラー」とは?簡単に説明
 第2次世界大戦を引き起こしたのに加え、ユダヤ人へのホロコーストなど欧米では未だ悪評、嫌悪感、アレルギーを見せる方は絶えません。
 いわゆるナチズムを掲げナチス・ドイツはそのイデオロギーのもと10数年過ごすことになりました。
 その後の巧妙なプロパガンダにより、ズテーデン進行、独ソ不可侵、ポーランド進行、突如の独ソ開戦と世界を再び大戦へと巻き込んでいます。
「アドルフ・ヒトラー」の晩年
 当初は有利に進んでいた独ソ戦も43年2月にスターリングラード攻防戦が決着。
 ドイツ軍は陸軍兵力の1/4にあたる150万人を喪失しており、歴史的転換点となりました。
 44年に入るとソ連軍ならびに連合軍の大反撃による求心力の低下は否めないものとなり、7月には暗殺未遂事件も起きています。
 45年にはもはや各方面でドイツ軍機能不全。
 後退を余儀なくされ、敗戦は必至の状況に陥ります。
 ベルリン陥落とともに総統官邸強襲も現実的なものとなりました。
 さらには同年4月29日同盟国イタリアのかつての指導者であったムッソリーニ氏がパルチザンに捕縛。
 処刑後無惨に逆さ吊りにされ、晒し者となったのを知ります。
 この事が自決を決意させる大きな要因になったのは間違いないでしょう。
「アドルフ・ヒトラー」の死に様
 1945年4月30日15時30分前後に死亡。
 56歳没。
 前日に10年来の恋人関係にあった「エヴァ・ブラウン」氏とともに自決したと言われています。
 死因は青酸カリカプセルを噛み、そのうえで顎の下から拳銃で撃ち抜いたとされます。
「アドルフ・ヒトラー」の死に様の信憑性
 古今東西、最期は自決した人物には多かれ、少なかれ都市伝説として生存説が存在するように、ヒトラー氏にも生存説は存在します。
 ソ連、英国軍の供述が一致していないことも大きな要因となりました。
 またアメリカ軍も同盟国である英国のローパー氏の調査報告が杜撰であることを認めています。
 また「アドルフ・アイヒマン」がアルゼンチンで捕縛された折に側近の「マルティン・ボルマン」氏が南米で生きている趣旨の発言をしたことにより、俄然ヒトラー氏の南米逃亡説も大きくなりました。
 一方でボルマン氏は「アルトゥール・アクスマン」氏が当初証言したようにヴァイデンダム橋近くの工事現場から発掘された人骨のDNA鑑定で死亡が確認。
 都市伝説としてはまだ残りますが、当初の発表通りに亡くなったとされます。
 93年に頭骨がコネチカット大学の調査でDNA判定から女性のものだと判断された一方で、2018年にはフランスの法医学者「フィリップ・シャルリエ」氏により鑑定が行われました。
 義歯に付着したレタスの繊維、シアン化合物のカプセルを噛んだことによる義歯の金属の色の変化などを踏まえ、確実に1945年に亡くなった事を主張した論文が出されています。
まとめ
 1945年4月30日15時30分に亡くなったのが通説です。
 死因は青酸カリカプセルを噛んだ後に拳銃で顎の下から頭部を目がけて撃ち抜いたことによるものでした。
 1945年から生存説は多々ありました。
 しかし2017年に開始された法医学調査でフィリップ氏が義歯に着目。
 翌年に通説通り、青酸カリカプセルを噛んだ後に拳銃での自殺で亡くなったと論文で発表しています。



