坂本九が歌ったヒット曲「上を向いて歩こう」を作詞した人物として知られる永六輔(えいろくすけ)は、83歳で死亡しています。
今回は、歯に衣着せぬ軽妙な話し口で人気を集めたこの放送作家の死因に迫ります。
「永六輔」とは?簡単に説明
昭和8年に現在の東京都台東区で生まれた永六輔こと永孝雄(えいたかお)は、世界的なヒットソング「上を向いて歩こう」の作詞者として知られる人物で、200万部を超えるベストセラーとなった「大往生」の著者でもあります。
日本においてテレビ放送が始まる前の実験放送時代からテレビ業界に関わっていた永は、番組の制作や構成を手掛ける「放送作家」の先駆けであり、テレビの創成期を支えた人物とも言われています。
ラジオパーソナリティでの軽妙な語り口で人気を集めた永は、続けて「バンビ」や「ダンボ」などのディズニー映画の日本語版における声優を務めるなど、幅広く活躍を続けていましたが、平成28年7月7日、83歳で永眠しています。
「永六輔」の死に様
83歳で亡くなった永六輔は、直接の死因は肺炎とするものの、老衰と言っても差し支えないような大変穏やかな散り際だったという担当医師からの証言が残されています。
平成28年2月、脊椎(せきつい)の損傷により、神経の一部を圧迫してしまっている症状に悩まされていた永は、背骨を上下で支えている脊椎の骨と骨をブリッジで固定する手術を受けています。
手術は成功して一旦は退院するものの、自宅での療養生活中に誤嚥(ごえん)により肺炎を併発してしまったため、体力は落ち身体は徐々に衰弱していきます。
その後、少しずつ会話をすることさえも難しい状態に陥っていった永は、東京都内の自宅にて83歳で死亡しています。
「永六輔」の死に様の信憑性
独特かつ軽妙な語り口で人気を博した永六輔は、平成22年にパーキンソン病と診断されてからは、少しずつ呂律が回らなくなっていき、投薬治療を開始します。
さらに同年、前立腺がんにも罹患していることが発覚した永は、芸能生活と並行して闘病生活を送ることになりますが、翌年、東京都内の自宅で転倒して大腿骨頸部を骨折してしまい、緊急入院後に手術を受けています。
この事故により車椅子での生活を余儀なくされた永でしたが、仕事への情熱は衰えることを知らず、その後も車椅子に乗ったままイベントや撮影などに参加していました。
自分の足が車椅子に代わってからも、精力的に活動を続けていた永でしたが、最期は肺炎により東京都内の自宅にて永眠しています。
「永六輔」の小ネタ等
旧制の早稲田中学校から早稲田高校に進学した永六輔は、高校卒業後、後に寅さんで有名になる渥美清らと共に鉱石を用いてラジオを組み立てるグループの一員になっていたというエピソードが残されています。
また、後に「映画の語りべ」として親しまれることになる淀川長治が主催していた「東京映画友の会」の初期の参加メンバーでもありました。
まとめ
坂本九の「上を向いて歩こう」や、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」などのヒット曲を作詞した人物として知られる永六輔は83歳で亡くなっています。
その軽妙な語り口や歯に衣着せぬトークは、後のテレビ業界に多大なる貢献を果たしたとも言われており、彼の残した足跡は現在でも多くのテレビ業界人が歩き続けています。