横綱・プロレスラー・負け犬サダの好敵手?
「輪島大士」の散り際とは?
この記事では輪島大士の晩年と散り際を解説していきます。
「輪島大士」とは?簡単に説明
第54代横綱で黄金のまわしに左下手投げを得意にし、黄金の左は当時の通り名。
後にプロレスラーに転向した際のタイツの色、必殺技の名前はこれに由来します。
「北の湖」とともに一時代を築きますが、故障で引退。
その後金銭トラブルで紆余曲折の末に全日本プロレス入り。
華々しいデビューも活躍できずひっそりと退団。
しかし一大転機が訪れ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』での準レギュラーで「輪島公一」や「定岡正二」とともに天然キャラで人気を集めました。
「輪島大士」の晩年
相撲時代から続いていた年寄名跡に纏わる不祥事やスキャンダル、プロレスラー時代の練習嫌いや試合運びの下手さなど負のイメージの連鎖は『生ダラ』でそのキャラクターが人気を集めたことで払拭されたと言っていいでしょう。
晩年は地元石川県で石川県観光親善大使や能登観光協会大使を歴任しています。
その反面、2007年には一部報道で現役横綱時代の八百長疑惑の告発もされています。
それでも09年1月には大相撲初場所の解説に登場。
民放の相撲コーナーで解説経験はあるもの、NHKには実に23年ぶりとなり、相撲協会との雪解けも予感させるものとなりました。
その矢先に病魔が輪島氏の身体を蝕んでいました。
「輪島大士」の死に様
2018年10月8日20時、自宅のソファでテレビを見ながら座ったままで息を引き取ったと言われます。
警察、消防が確認の為自宅を訪れており、事件性はないと判断されました。
死因は咽頭がんと肺がんによる衰弱によるものでした。
70歳没。
「輪島大士」の死に様の信憑性
2014年にテレビ出演した際に、前年に下咽頭がんの切除手術により声を失ったことが明らかになりました。
その一方で医師にあと20年は生きられると太鼓判を押されたと軽口も叩いていました。
しかしその反面、往年の姿とは似ても似つかぬほど痩せてしまったのは否定できないところでしょう。
このテレビ出演時には毎日の日課でウォーキングをしていると話していましたが、1年ほど前からは杖をつかないと歩けないほどに足腰が弱ったこともあり、近所で姿を見かけられなくなったようです。
また病院のデイサービスで介護を受けていたことも明らかになりました。
まとめ
2018年10月18日20時に「輪島大士」は自宅のソファーに座り、テレビを見つつ眠るように亡くなっています。
70歳没。
死因は咽頭がんと肺がんによる衰弱死でした。
13年12月に下咽頭がんにより、声を失いましたが手術は成功し、20年は大丈夫と医師に太鼓判を押されるほどでした。
17年の秋には既に衰弱が顕著で日課のウォーキングをする姿は見られなくなり、杖が必要になっていたそうです。