「菅原加織(すがわらかおる)」とは?
菅原加織の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「菅原加織」とは?簡単に説明
菅原加織は、映画「仁義なき戦い」シリーズ、「トラック野郎」シリーズなどの作品で主演を務めた大物俳優・菅原文太の長男です。
母は菅原文太の元マネージャーだった文子で、菅原文太が36歳の時に生まれています。
加織は高校在学中に映画デビューし、その後映画「仁義_JINGI」やテレビドラマ「暴れん坊将軍」などに出演しています。
Vシネマ「ビッグ・ボス」では父・菅原文太と初共演を、また菅原文太がプロデュースした「デコトラ外伝 男人生夢一路」では初主演を果たしています。
「菅原加織」の晩年
菅原加織は父・菅原文太のバックアップによるところもありますが、次第にテレビや舞台で活躍しはじめていました。
亡くなる翌年にはNHK大河ドラマ「利家とまつ」に親子共演することも決まっていました。
菅原文太は加織を大変可愛がっており、映画デビューの時は普通の父親のように相好を崩して喜んでいたそうです。
大河ドラマでの共演もさぞかし喜んでいたことでしょう。
「菅原加織」の死に様
菅原加織は2001年(平成13年)10月23日午後11時過ぎ、東京都世田谷区北沢二丁目の小田急小田急線の踏切内で上り電車にはねられます。
その後、病院に搬送されますが、頭や胸を強打しており、翌24日午前1時過ぎに帰らぬ人となりました。
加織は下り電車が通過した後、下りたままの遮断機をまたいで踏切内に入ったため、その後に来た上り電車にはねられたようです。
目撃者の証言によると携帯電話で話をしながらあるいていたようで、酒も飲んでおり相当酔っていたようです。
「菅原加織」の死に様の信憑性
菅原加織が小田急線にはねられて亡くなったことには疑いの余地はありません。
ただ、どうして遮断機の下りた踏み切り内に侵入したのかが謎です。
一説には「自殺では?」との疑いも出ますが、自殺を匂わせる事実や証拠、証言などは出ていないようです。
酔っていた上に携帯電話を使用中だったため、踏切の警報音が聞こえなかったのではないかとも言われています。
ただ、遮断機は下りたままだったようですし、その遮断機をまたいで侵入したとのことですので無意識なりに侵入の危険は普通感じていたはずです。
そんな危険の認識も薄らぐほど酩酊していたのか、あるいはよほど携帯電話での話に没頭していたか、あるいは遮断機が上がるのを待てないほど急いでいたのか、真相は分かりません。
まとめ
菅原文太は加織の死を非常に悲しみ、芸能界引退まで考えるほどだったそうです。
26日に営まれた葬儀・告別式でもとても憔悴した姿で、親友の長門裕之に「俺、もう仕事したくない」とこぼしたそうです。