この記事では、「池内淳子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「池内淳子」とは?
池内淳子とは、映画やテレビドラマ、舞台で活躍した女優です。
芸能誌「サンケイグラフ」のカバーガールに応募したことがきっかけで芸能界に入ります。
1955年に映画「皇太子の花嫁」で女優デビューしました。
次作の「次郎物語」で注目され、人気女優となっていきます。
テレビの世界に進出すると、「日日の背信」や「女と味噌汁」シリーズは大ヒットドラマとなりました。
和服姿の優しい母親から芸者、愛人まで幅広く演じています。
「池内淳子」の晩年
池内淳子は、晩年も女優として活動を行っていました。
祖母役など年齢に応じた役柄を演じており、老婆や認知症を患う役を演じたこともあります。
晩年に出演した作品には、テレビドラマ「白い巨塔」や「渡る世間は鬼ばかり」「任侠ヘルパー」などが挙げられます。
また、「放浪記」や「母の贈り物」「三婆」といった舞台にも出演しています。
特に「三婆」はライフワークとしていた舞台で、2010年には400回公演を達成しています。
「池内淳子」の死に様
池内淳子が亡くなったのは、2010年9月のことです。
その4か月前までは、「三婆」の舞台に立っていました。
しかし、体調を崩して東京都内の病院に入院し、亡くなってしまいます。
妹達に見守られながら亡くなったようです。
76歳でした。
死因は肺腺癌です。
女優の黒柳徹子とは一緒に老人ホームに入ろうと語り合っていましたが、老人ホームに入ることはありませんでした。
私生活では若い頃にジャズミュージシャンの柳澤愼一と結婚しましたが、スピード離婚しています。
その後は再婚することはありませんでした。
「池内淳子」の死に様の信憑性
池内淳子の死因は肺腺癌ですが、亡くなる3年程前に診断されたといわれています。
最初は間質性肺炎と診断され入院し治療を受けていたところ、詳しい検査で肺腺癌であることが判明します。
女優業を休業して治療に専念し、一度は回復しましたが肺腺癌が再発してしまいました。
池内淳子は喫煙者として知られており、ヘビースモーカーだったといわれています。
煙草はがんのリスクを高めるので、その影響も考えられます。
まとめ
池内淳子は晩年も女優として活動していました。
舞台「三婆」をライフワークとしていましたが、亡くなる3年前に肺腺癌と診断されます。
最後の舞台に立ってから4か月後、76歳で亡くなりました。