この記事では、「田宮二郎」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「田宮二郎」とは?
「田宮二郎」とは映画やドラマで活躍した昭和の名優で、テレビ司会者としても人気を博しました。
長身と端正なルックスから女性ファンが夢中になり、二枚目から悪役、コメディタッチの役柄まで幅広く演じています。
最初に注目されたのは山崎豊子原作の映画「女の勲章」で、映画「悪名」では勝新太郎と共演しスターダムにのし上がりました。
しかし、順風満帆だった俳優人生ですが、出演者の配列を巡って抗議したことをきっかけに映画界を追放されてしまいます。
「田宮二郎」の晩年
「田宮二郎」は晩年、テレビを中心に活動していました。
映画界を追放された田宮でしたが、クイズ番組「クイズタイムショック」の司会を務めるとソフトで語り口と軽妙な話術で人気となります。
映画界ににカムバックすることもできましたが、すでに時代は映画からテレビに移っていました。
「知らない同士」や「白い巨塔」「白い滑走路」「高原へいらっしゃい」などドラマに主演し大ヒットを記録しています。
特に「白い巨塔」は思い入れのある作品で、原作者である山崎豊子に直談判したともいわれています。
その一方でプライベートでは、金銭トラブルを抱えていました。
胡散臭い事業に手を出し、週刊誌などにも報じられます。
「田宮二郎」の死に様
「田宮二郎」が亡くなったのは、1978年のことです。
自宅で散弾銃を使い、自殺してしまいます。
享年43でした。
妻や子ども達、弁護士などにあてた8通の遺書が見つかったとされます。
「田宮二郎」の死に様の信憑性
「田宮二郎」は晩年、躁うつ病を患っていました。
躁状態の時は怪しい投資に手を出し、うつ状態になると激しい自責の念にかられたといいます。
遺作となった「白い巨塔」では、うつ状態でセリフが頭に入らないような状況でしたが鬼気迫る演技で周囲の俳優たちを唸らせています。
また、散弾銃による死を選んだ理由としては、山崎豊子原作の「華麗なる一族」が影響していると考えられます。
「田宮二郎」が役を熱望した万俵鉄平が、作中で散弾銃を使って自殺するシーンがあるからです。
散弾銃の引き金を足でひけば顔は潰れないというのは本当かと山崎豊子にきいたというエピソードもあります。
その通り、「田宮二郎」は散弾銃の引き金を足でひいて亡くなりました。
まとめ
「田宮二郎」は晩年、躁うつ病を患っていました。
そして、散弾銃による自殺という壮絶な死を遂げます。
享年43でした。