「小坂一也」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「小坂一也」の死に際とは?日本の人物

「小坂一也(こさかかずや)」とは?

小坂一也の死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「小坂一也」とは?簡単に説明

小坂一也は愛知県名古屋市出生、東京都出身の歌手、俳優です。

1952年(昭和27年)、ワゴン・マスターズにボーカルとして参入し、1954年(昭和29年)に「ワゴン・マスター」でデビューします。

その後、「元祖和製プレスリー」と呼ばれるほどカントリーミュージックのアイドル的存在として人気を博します。

NHK紅白歌合戦にも出演し、当時「NHKでロックンロールを歌った歌手」として話題になっています。

俳優としては1957年(昭和32年)に「星空の街」で映画デビューし、翌年の「この天の虹」で注目され、多くの映画にも出演することになるのです。



「小坂一也」の死に様

小坂一也は1997年(平成9年)11月1日午前6時10分、食道ガンのため東京都中央区の国立がんセンター中央病院で死去しています。

享年62。

晩年はがんを患い、闘病生活を続けながら俳優・歌手として活動を続けていました。

十朱幸代との破局以来、人気が低迷していた小坂でしたが、さらに1990年代に入ると激痩せしているのが目立つようになり、ついには闘病中であることを公表していました。



「小坂一也」の死に様の信憑性

晩年の小坂一也はガンのため闘病生活を送っており、またそのことを公表もしており、亡くなったのも病院内であることから、死に様の信憑性は高いと言えます。

「小坂一也」の小ネタ等

小坂一也というとまず頭に浮かぶのが女優・十朱幸代との離婚、女優・松坂慶子との不倫です。

記者会見まで開き、ワイドショーなどで報道もされました。

どこまでが真実でどこまでが噂に過ぎないのか今となっては曖昧なところが多いですが、十朱幸代との離婚原因は松坂慶子との浮気だと認めていたようです。

小坂一也と十朱幸代の出会いは小坂が24歳の時、映画「惜春鳥」で共演したのがきっかけです。

その後2人は交際を始めますが、結婚式を挙げるのは交際から15年経った1974年(昭和49年)でした。

それも「形にとらわれたくない」として未入籍のままの事実婚でした。

そんな結婚生活もわずか1年足らずで終止符を打ちます。

離婚の原因は松坂慶子の存在であることを小坂も認めています。

ただし、浮気ではなく、小坂が一方的に松坂に惚れたのだと言い訳していましたが・・・。

その後、松坂と結婚を前提にした交際を申し込むために松坂の実家に行くも、松坂の父親に断られたそうです。

まとめ

小坂一也はドラマで観る限りはどちらかというと気の弱いおじさんという印象が強い役柄が多かった個人的印象ですが、十朱幸代と松坂慶子という当代きっての美人女優を二股にかけるなどとは意外にやり手なんだと変なところで感心する俳優さんでした。

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