楽太郎の印象が強すぎた?
「六代目三遊亭円楽」の晩年と最期とは?
この記事では「六代目三遊亭円楽」の晩年と最期について解説します。
「六代目三遊亭円楽」とは?簡単に説明
「六代目三遊亭円楽」という名前よりも世間の人的にはまだまだ「三遊亭楽太郎」としての認知度が高いのは否めないところでしょう。
日曜の夕方に放送されている国民的長寿番組『笑点』では楽太郎名義で30年以上活躍していただけにそれも至極当然だと言えます。
師匠の名跡を継いだで円楽になったのはまだ10年程度。
また落語のイメージが強いのは当然ですが、80年代には当時日本マラソンのエースで国民的スターであった「瀬古利彦」氏の物真似で人気を博すなど他分野でも笑いの才能を見せています。
「六代目三遊亭円楽」の晩年
不倫スキャンダル、落語芸術協会への加入など良くも悪くも公私に渡り、老いてなお盛んな動きを見せていたのは間違いありません。
しかし七十路を目前にした頃から、複数の病魔に身体を蝕まれることになりました。
病に罹患、一旦休業するごとに、その経過をきちんマスメディアに包み欠かさず明らかに説明する姿はプロフェッショナルそのもの。
経過観察を続けながら、高座に復帰すると並行して落語イベントのプロデュースやセミナーでの講演など精力的に熟しています。
「六代目三遊亭円楽」の死に様
2022年9月28日午前9時28分に72歳で永眠しています。
死因は闘病生活の発端となった肺がんでした。
奇しくも4年前に初期の肺がんであると公表した日付に逝去したことになりました。
「六代目三遊亭円楽」の死に様の信憑性
不倫スキャンダルの際が明らかになった際も一切合切包み隠さずマスメディアに話していますが、闘病についてもスタンスは変わりませんでした。
このため当時の週刊誌や夕刊紙などを紐解けば、病気の時系列もはっきりとしており信憑性は高いと言えるでしょう。
2019年には脳腫瘍と肺がんの再発、2022年1月に脳梗塞を発症した時も経過はきちんと説明されています。
同年7月に復帰した際には楽太郎時代のような毒を吐いていましたが、実際に8月に高座復帰した際には息も絶え絶えで調子の悪さは一目瞭然。
自身で肺に水が溜まっていることも明らかにしています。
その後月末に軽度の肺炎で入院することとなり、20日の舞台が最期の公の場での姿になりました。
まとめ
「六代目三遊亭円楽」は2022年9月28日午前9時28分に永眠しています。
72歳没。
死因は4年前の9月28日に公表した肺がんによるものでした。
1度は寛解したものの2019年に再発しています。
晩年は脳腫瘍と脳梗塞をも患い、闘病生活が続いていました。
また脳神経のダメージは大きく、左半身麻痺と高次脳機能障害による記憶障害もあったと公表しています。
それでも落語の演目は忘れることなく話すことができたのは「三遊亭円楽」の名を継承した人物ならではと言えるでしょう。