寺尾の兄、井筒三兄弟の次男「井筒親方(逆鉾昭廣)」の散り際とは?
この記事では井筒親方(逆鉾昭廣)の晩年と散り際について解説していきます。
「井筒親方(逆鉾昭廣)」とは?簡単に説明
父・元関脇「鶴ケ嶺」、長兄・元十両「鶴嶺山」、三男・元関脇「寺尾」と相撲ファミリーに育ちます。
平成にいわゆる若貴兄弟が台頭してくるまでは、相撲界の兄弟力士といえば井筒三兄弟でした。
そして三兄弟ともにルックスがよく華があり、マスメディアに登場する機会は多かったと言えるでしょう。
特に弟の寺尾氏と同時関脇・三賞を度々獲得、実力も高く評価されていました。
その一方でオーバーアクションや放言などからアンチも多く存在。
弟の寺尾氏がベビーフェイスなのとは対照的にヒール的な扱いをしばしば受けることになります。
「井筒親方(逆鉾昭廣)」の晩年
1994年4月、父の定年退職と同時に15代井筒を襲名。
名門井筒部屋の親方として尽力しています。
そして2001年9月に入門した「鶴竜力三郎」を指導。
2014年には横綱にまで昇進。
1947年に誕生した名門「時津風一門」の3系統の部屋からの横綱昇進は実に52年ぶりであり、その手腕は高く評価されることになりました。
また協会内での役職も着実にステップアップ。
2018年の相撲協会、副理事選挙は落選するも20代錣山(寺尾)との兄弟対決は話題を呼んでいます。
翌19年名古屋場所、腰痛などの体調不良に見まわれます。
当初は力士の職業病である糖尿病の悪化が原因と思われました。
しかしその痛みに潜んでいたのは思いもよらぬ深刻な病でした。
「井筒親方(逆鉾昭廣)」の死に様
2019年9月16日夜に入院先の都内の病院で死亡しています。
58歳没。
死因は同年7月に発覚した膵臓癌によるものでした。
8月下旬から入院加療が続けられていましたが、16日に容態が急変。
帰らぬ人になりました。
「井筒親方(逆鉾昭廣)」の死に様の信憑性
当初の発表では相撲取りの職業病である糖尿病が悪化したとされ、深刻なものではあるように思えませんでした。
16年に同じ膵臓がんで亡くなった九重親方(千代の富士)と比較しても、激ヤセの姿は見られませんでした。
弟子の横綱「鶴竜力三郎」が19年夏場所で優勝。
7月21日に名古屋市金山のホテルで行われた祝勝会に井筒親方は姿を見せ、横綱と写真におさまっていますが、頬はふっくらとしており、体調の悪さは感じさせないものとなっています。
まとめ
井筒親方(逆鉾昭廣)は2019年9月16日に永眠しています。
58歳没。
死因は同年7月に発覚した膵臓癌でした。
同月21日、愛弟子である鶴竜氏の名古屋場所優勝祝勝会に顔を見せていますが、体型や顔色は悪くなく、誰もが重篤な病に罹患しているとは思わなかったことでしょう。
症状の悪化は急激なもので8月下旬に入院して治療を受けていましたが、9月16日に急変。
そのまま持ち直すことなく、夜に帰らぬ人になってしまいました。