「アルキメデス」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「アルキメデス」の死に際とは?世界の人物

「アルキメデス」とは?

彼の死に様についてのさまざまな説とその信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「アルキメデス」とは?簡単に説明

彼は古代ギリシャ時代の天才的な数学者、物理学者、天文学者です。

浮力の発見や円周率の近似を求めたりした功績があります。

また投石機などの兵器も開発しています。



「アルキメデス」の死に様

彼は紀元前212年に75歳で死んだとされています。

第二次ポエニ戦争下のことで、ローマのマルクス・クラウディウス・マルケルス(マルケルルス)将軍が彼の住むシケリア(シチリア島)のシラクサを占領した時のことです。

彼の評判を知っていたマルケルスは、危害を加えずに彼を連れてくるよう兵に命じました。

この時、彼は自宅に籠もって幾何学の問題に没頭していたそうです。

この時に放った言葉で有名な逸話によると、家に乱入した兵に向かって「私の円を乱すな」と怒鳴ったことで、怒った兵によって死に至ったとしていますが、真偽は不明です。

著述家プルタルコスの話は少し違っていて、マルケルスのところに同行するように求めましたが、問題が解けるまで同行を拒否したために命を落としたとしています。

プルタルコスはこれ以外に2つの伝承を伝えています。

1つは最初から殺すつもりで彼に近づき、死に至らしめたとする逸話、もう1つは彼と出会った兵が、彼が金を運んでいるものと思いこんで命を奪ったという話です。

さらにリウィウスは「ローマ建国史」の中で彼のことを誰だか知らなかった兵によって誤殺されたためとしています。

このように古代の記述は混乱しています。

ただ、どの逸話もマルケルス将軍の命令に反して彼を死に至らしめているという矛盾があります。

これに対し2008年に発表された論文では、マルケルスが彼を殺すように命じたとしています。

将軍本人が殺せと命じていたのなら、これら逸話の矛盾も解決します。



「アルキメデス」の死に様の信憑性

「私の円を乱すな」の逸話については、この言葉自体、古代のどの作家にも出てきません。

著述家ウァレリウス・マクシムスは彼が問題にあまりにも熱中していて自分の名前が言えず、「お願いするのでこれを乱さないでくれ」と言ったことがローマ兵の怒りを買って殺されたとしています。

彼の有名な逸話もこの話に由来するものでしょう。

いずれにしても結果的に彼が死に至っていることから、マルケルスの指示・命令があった可能性は高く、逸話はマルケルスを美化するための隠蔽工作と考えると納得がいきます。

なお真実は闇の中ですが、紀元前212年のローマ軍によるシラクサ占領時に彼が亡くなったことは確かなようです。

「アルキメデス」の小ネタ等

彼が発明した投石機やクレーンなどの兵器はローマ軍を散々に苦しめました。

マルケルスは多くの兵を失い、兵は怖じ気づけ、攻め入れられずに長い間ただ包囲するだけの戦いを余儀なくされていました。

マルケルスにとって彼は死を悼む相手ではなく、殺しても殺し足りない人物ではなかったのではないでしょうか。

まとめ

有名人の死に関する逸話はえてして美化されがちですが、彼の有名な逸話についても作り話の可能性が高いようです。

ただ、逸話はその人となりを端的にイメージできるので、それはそれで必要なのかもしれません。

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