この記事では、「ジーン・セバーグ」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ジーン・セバーグ」とは?
ジーン・セバーグとは、アメリカのアイオワ州出身の女優です。
2019年に彼女を描いた映画「セバーグ」が公開されたことで、注目を集めました。
ジーン・セバーグは、1957年に映画「聖女ジャンヌ・ダルク」で女優としてデビューします。
次作となる「悲しみよこんにちは」ではベリーショートの髪型が人気となり、セシルカットと呼ばれました。
また、フランス映画「勝手にしやがれ」に主演し、ブレイクしています。
「ジーン・セバーグ」の晩年
ジーン・セバーグは晩年、深刻なうつ病に悩まされていました。
精神的に非常に不安定な状態に追い込まれていたのです。
ジーン・セバーグは1970年に2番目の子を妊娠しましたが、流産してしまいます。
当時、ジーン・セバーグはフランス人作家のロマン・ガリーと結婚していました。
亡くなった子どもは、夫の子どもではないという噂があったのです。
その噂は事実無根でしたが、ブラック・パンサーの幹部の子だという噂が囁かれました。
なぜそのような噂が出たのかというと、公民権運動や反戦運動に熱心でブラック・パンサーをサポートしたこともあったからです。
ブラック・パンサーは、黒人民族主義運動を主導していた組織でした。
当時のアメリカは人種差別がはっきりと存在していた時代です。
そういった活動によりジーン・セバーグはFBIから危険分子として目を付けられ、フェイクニュースが捏造されたのです。
「ジーン・セバーグ」の死に様
ジーン・セバーグは、1979年8月に失踪してしまいます。
そして11日後に遺体で発見されました。
パリの自宅の近くにあった車の中で亡くなっていたのです。
自殺したと考えられています。
遺体はブランケットにくるまれており、遺書が残されていました。
享年40です。
「ジーン・セバーグ」の死に様の信憑性
ジーン・セバーグの死因は、アルコールとバルビツールという薬による自殺です。
流産した後、ジーン・セバーグは亡くなった子どもが夫の子ではないという噂を打ち消すために記者会見を開いています。
胎児の写真を公表し、黒人の特徴がないことを証明しようとしました。
しかし、その際に精神的に非常に不安定だったことは、誰の目にも明らかだったといいます。
まとめ
ジーン・セバーグは晩年、公民権運動や反戦運動に熱心に取り組んでいました。
しかし、精神的に不安定となり40歳で自殺しています。