「クリストファー・コロンブス」をご存知ですか?
新大陸発見の~大航海時代の~という枕詞をつければ、ある程度の方にはおなじみの方でしょうか。
彼の晩年、最期について、まとめていきましょう。
「クリストファー・コロンブス」とは?簡単に説明
一言で言えば、大航海時代を代表する冒険家。
歴史に名を残した人物。
1492年現在のスペインである当時のカスティーリャ王国、イザベラ女王の支援を受けたコロンブスは、航海の末、サン=サルバドル島に到着します。
これが俗に言う、新大陸発見と言われています。
彼自身はここをインドだと信じていたため、そこにいた先住民を「インディオ」と読んだことは有名な話。
航海の道のりは困難を極めましたが、それでも王国が支援をしたのは、黄金を求めていたから。
海の向こうには黄金の国があると信じられていたから、と言われています。
実際、日本(ジパング)の金は世界中から熱い視線を集めていました。
「クリストファー・コロンブス」の晩年
サン=サルバドル島に上陸することに成功したコロンブス。
栄華を極めるかのような印象がありますが、現実はそんなに甘くありませんでした。
その後、サン=サルバドル島を起点とし4回の航海を行いましたが、王国が期待していたほどの黄金を土産にすることはできませんでした。
思ったほどの富が得られない現地では、コロンブスと共に入植した者から不満の声が上がっていきます。
結果それは暴動につながり、本国からコロンブス宛に逮捕令が出てしまいました。
なんとか解放されましたが、王国からの支援は先細りに。
最後の航海時にはほとんど支援をもらえなかったと言われています。
パナマ周辺を6か月さまよったものの、最後は難破して救助されスペインに戻ったようです。
「クリストファー・コロンブス」の死に様
1506年、コロンブスは通風の悪化により死去したと言われています。
度重なる航海はコロンブスの体を蝕んでいったと考えられ、帰国後は通風の悪化に悩まされ、最期を迎えたと言われています。
「クリストファー・コロンブス」の死に様の信憑性
コロンブスの死は暗殺などではなく、多くの意見が、病死と結論付けています。
インディオに対して大量虐殺を行った、とも言われており、その過程での殺害も大いにありそうですが晩年はスペインに帰国し、そこで最期を迎えたとのことです。
通風で悩んでいたことも事実のようで、信憑性はあると考えられています。
まとめ
クリストファー・コロンブスの晩年、死因についてまとめました。
現在まで名前の残ったコロンブスですが、最期は王室からも冷遇され、病に倒れ寂しいものだったと言えます。