メジャー全球団の永久欠番42がもつ意味とは?
この記事ではジャッキー・ロビンソンの晩年と散り際について解説します。
「ジャッキー・ロビンソン」とは?簡単に説明
日本では背番号42が持つ意味合いはコアな野球ファンで無ければ知っている方は少ないことでしょう。
しかし米国メジャーリーグでは全球団が永久欠番としている特別な背番号です。
有色人種差別が一層激しかった20世紀中頃の米国社会かつメジャーリーグで大活躍した「ジャッキー・ロビンソン」がつけていました。
野球選手としては勿論偉大な足跡を残していますが、現役生活自体は10年にしか過ぎません。
しかしそれ以上に米国社会の人種差別問題へ与えた影響も大きいものがありました。
「ジャッキー・ロビンソン」の晩年
早い段階から引退後は実業界への転身を考えていたとされます。
現役晩年にヤンキースが黒人差別している趣旨の発言をしてひと悶着ありましたが、因縁のヤンキースタジアムのオフィシャルコーヒースタンドでもあるチョック・フル・オー・ナッツ」の副社長を務めるなど実業界で活躍。
その後1950年代半からは米国社会におけるアフリカ系アメリカ人の地位確立のためにも尽力。
公民権の適用と人種差別の解消のために精力的に活動しています。
全米黒人地位向上協会にも参加、自由基金運動の議長の要職にも就いていました。
その反面晩年の体調は優れた状態とは言えませんでした。
糖尿病の合併症で片目の視力は失い、現役時代のプレーの代償からか、軟骨剥離や関節炎などを次々に罹患し、歩くこともままならぬ様になっていきます。
さらにはベトナム戦争中の薬物濫用で薬物依存症になった長男を交通事故で失ってしまうのでした。
「ジャッキー・ロビンソン」の死に様
1972年10月24日に心臓発作でその生涯を終えています。
53歳没。
その10日ほど前にワールドシリーズ第2戦の始球式で、オハイオ州シンシナティを訪れています。
これが公の場に現れた最後の姿となりました。
「ジャッキー・ロビンソン」の死に様の信憑性
明確な心臓発作の理由はわかりません。
ただし糖尿病の合併症で失明。
歩くのに杖が必要なほど弱った身体には居住していたコネチカット州スタンフォードからオハイオ州シンシナティの距離の往復約1400マイル(約2250キロ、日本列島北端~南端約2500キロ)は負担になったことは間違いないでしょう。
亡くなる直前には『I Never Had It Made』のタイトルで自伝を書き上げていました。
まとめ
「ジャッキー・ロビンソン」は1972年10月24日に心臓発作でこの世を去っています。
53歳没。
晩年は糖尿病で片目を失明。
現役時代の果敢な走塁ゆえか、軟骨剥離や関節炎の影響で杖が必要なほどに足腰が弱っていたと言います。
晩年はビジネス界で活躍するとともにアフリカ系アメリカ人の地位確立の為に尽力しました。
最期に書き上げた自伝は米国社会への怒りも吐露しており、白人から受けた偏見は根強く残っていたようです。