フレディ・マーキュリーはクイーンのボーカリストとして知られており、亡くなった今も根強い人気を誇っています。
フレディ・マーキュリーの晩年や最期について紹介します。
フレディ・マーキュリーとは?
クイーンは1970年代にデビューしたイギリスのロックバンドで、イギリスだけではなく世界中で愛され続けています。
フレディ・マーキュリーは、クイーンのボーカリストとして活躍しました。
独創的で圧巻のライブパフォーマンスと力強い歌声で多くのファンを熱狂させています。
フレディ・マーキュリーはクイーンの楽曲の作詞作曲を多数手がけており、クイーンの代表曲である「ボヘミアン・ラプソディ」もフレディ・マーキュリーの曲です。
フレディ・マーキュリーの晩年
フレディ・マーキュリーのいるクイーンは1973年のデビュー以来、次々とヒット曲を世に送り出しました。
ボヘミアン・ラプソディがイギリスで9週連続1位になるなど、人気を不動のものにしていきます。
しかし、個々にソロ活動を行うことが多くなり、メンバー同士の仲も良好とはいえなくなっていきました。
しかし、1986年にリリースした12作目のアルバム「カインド・オブ・マジック」が世界中で大ヒットします。
それによりメンバー同士の仲も修復に向かいました。
その年、ヨーロッパ各地をめぐるツアーを行い、200万人以上の観客を動員しています。
ツアーは大成功となりましたが、これがフレディ・マーキュリーのクイーンとしての最期のツアーとなりました。
実はこの頃、フレディ・マーキュリーはエイズに感染し、体調が悪化していったのです。
フレディがエイズに感染したのではないかという噂が流れましたが、本人はそれを否定していました。
フレディ・マーキュリーの最期
1991年、クイーンは14作品目のアルバム「イニュエンドゥ」をリリースします。
イギリスでは昔と変わらぬ人気を誇りましたが、この頃にはすでにフレディ・マーキュリーは、病気のためにやせ衰えていました。
そして11月に、スポークスマンを通じてエイズに感染していたこととプライバシーを守るためにその事実を隠していたことを発表しています。
その声明を発表した翌日、フレディマーキュリーは45歳で死去しました。
エイズによる免疫不全で引き起こされたニューモシスチス肺炎が原因です。
フレディ・マーキュリーをめぐる逸話
フレディ・マーキュリーは親日家で、ロンドンにある自宅には日本庭園がありました。
日本文化に非常に興味を持っていたといわれ、骨董品も集めていました。
伊万里焼のコレクターでもありました。
来日した際には、新宿にあるゲイバーにも足しげく通っていたといわれています。
まとめ
フレディ・マーキュリーは、イギリスのロックバンド・クイーンのボーカルとして人気を集めました。
晩年はエイズに感染し、徐々に体調が悪化していきます。
エイズによる免疫不全が引き起こすニューモシスチス肺炎によって45歳で亡くなりました。