鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!「クリストファー・リーヴ」の散り際とは?
この記事ではクリストファー・リーヴの晩年と散り際を解説していきます。
「クリストファー・リーヴ」とは?簡単に説明
近年はマーベルヒーローズに隠れがちなDCヒーローズ。
そしてDCコミックスのヒーローといえば『バットマン』がその代表格と言っていいでしょう。
しかし70年代のアメリカのNo. 1ヒーローといえば『スーパーマン』でした。
そしてその主役「スーパーマン」=「クラーク・ケント」を演じたのが「クリストファー・リーヴ」です。
劇場版4作に出演しており、特に1978年版は日本でも大ヒット。
日本におけるスーパーマンは彼のイメージで定着していると言って過言ではありません。
「クリストファー・リーヴ」の晩年
1995年に起きた落馬事故で首から下が麻痺状態になったことは日本でも大きく報道されました。
それに伴い役者生命も実質絶たれた形になり、一度は引退しています。
症状が安定してきた98年以降、監督業やナレーターを経て俳優業に復帰。
特に2003年に放送された『ヤング・スーパーマン』ではかつて自身が演じた「クラーク・ケント」を導くヴァージル博士役を演じ話題になりました。
また脊髄損傷者の希望となるべく『クリストファー・リーブ財団』を設立。
損傷者支援や講演、再生医療に関する国の予算確保へのロビー活動等多忙な日々を送っていたといいます。
「クリストファー・リーヴ」の死に様
2004年10月10日にニューヨークを代表する病院の1つである「ノーザン・ウェストチェスター病院」でその生涯を終えています。
52歳没。
前日に自宅で心臓発作を起こし緊急搬送されましたが昏睡状態のまま。
その状態から意識を回復させることはありませんでした。
死因は心不全と発表されています。
「クリストファー・リーヴ」の死に様の信憑性
95年の落馬事故を悲劇的に感じる人も多いと思われますが、リーヴ氏は過酷な運命に立ち向かうとともに同じ境遇の障害者の希望となるべく不屈の闘志で日々を過ごしていたと言っていいでしょう。
脊髄再生医療の研究、支援に積極的に参与。
50歳の誕生日には立って歩くことを目標に日々を歩んでいました。
2002年に自らの身体を治験材料として提供した「横隔膜ペース・メーカー」により、遠くない将来には人工呼吸器を手放すことができる可能性も高くなっていたといいます。
希望的観測がされる一方で、人工呼吸器は手放せず肩から下は動かせない、厳しい現実は続いていました。
それでも再生医療の研究推進に尽力。
倒れる4日前にはシカゴでの会議に参加、精力的な活動を続ける一方で9月半ばから褥瘡に苦しんでいたとされます。
またリーヴ氏は脊髄損傷で首から下が麻痺状態なだけにどうしても心不全や狭心症のリスクは高くなっていたのは否めないところでしょう。
まとめ
「クリストファー・リーヴ」氏は2004年10月10日にニューヨーク・ノーザン・ウエストチェスター病院で逝去しました。
52歳没。
前日自宅で心臓発作で倒れた時に意識を無くして以降、回復することはありませんでした。
脊髄損傷再生医療の研究・支援・ロビー活動に奔走。
亡くなる数日前にはシカゴで研究会に参加するなど俳優時代よりも多忙な日々を過ごしていたと言います。