この記事では、「アンナ・ニコル・スミス」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「アンナ・ニコル・スミス」とは?
アンナ・ニコル・スミスとはアメリカの雑誌「PLAYBOY」のモデルで、マリリン・モンローを彷彿とさせるような金髪と豊満なボディで人気を博しました。
1993年にプレイメイト・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。
リアリティ番組の「アンナ・ニコル・ショー」に出演するなど幅広く活躍しました。
また、64歳年上の大富豪ハワード・マーシャルと結婚したこともよく知られています。
「アンナ・ニコル・スミス」の晩年
アンナ・ニコル・スミスの晩年は、夫であるハワード・マーシャルの遺産を巡って骨肉の争いを繰り広げていました。
ハワード・マーシャルは石油で財を築いた大富豪で、1994年に結婚しています。
夫はアンナより64歳も年上だったため、ゴシップ誌に取り上げられ大きな話題となります。
翌年は夫のハワードが亡くなり、義理の息子であるピアース・マーシャルと遺産を巡って争うことになります。
ピアースはアンナよりも28歳年上でした。
アンナはハワードと結婚する前に17歳で結婚していて、ダニエルという息子がいました。
しかし、ダニエルは抗うつ剤の過剰摂取により亡くなってしまいます。
「アンナ・ニコル・スミス」の死に様
息子ダニエルの死から1か月後、アンナ・ニコル・スミスも急死してしまいます。
ホテルの部屋で亡くなっているのが発見されたのです。
享年39でした。
鎮痛薬や抗うつ薬を過剰に摂取したためと考えられていますが、はっきりしたことは分かっていません。
「アンナ・ニコル・スミス」の死に様の信憑性
アンナ・ニコル・スミスの死は、さらなる騒動を巻き起こします。
亡くなった当時、アンナはダリーニンという娘を出産したばかりでした。
アンナの死後、ダリーニンの父親であるという人物が3人も名乗り出てきたためDNA鑑定が行われることになったのです。
ハワード・マーシャルの巨額の遺産を巡る裁判も、まだ決着はついていませんでした。
結局、芸能ジャーナリストのラリー・バークヘッドという人物が父親だと判明します。
しかし、その後の裁判でハワード・マーシャルの遺産はアンナの義理の息子であるピアース・マーシャルが受け継ぐことが決定します。
ピアースも既に亡くなっていたため、巨額の遺産はピアースの妻が受け取りました。
まとめ
アンナ・ニコル・スミスは晩年、夫の遺産をめぐって義理の息子と争っていました。
39歳で急死してしまいます。