石原裕次郎亡き後の石原プロを守り抜いた渡哲也の晩年と最期とは?
この記事では渡哲也の晩年と最期に迫ります。
「渡哲也」とは?簡単に説明
渡哲也といえば、やはりレイバンのサングラス。
そして『西部警察』の大門圭介を思い浮かべる方が多いはずです。
実際には『西部警察』の前シリーズである『大都会』シリーズの黒岩刑事から使われ、インパクトを残しています。
若い方には印象が薄いかもしれませんが、歌手としての実績もあり、昭和48年に発売した名曲『くちなしの花』はミリオンセールスとなりました。
また経営者としては、石原裕次郎没後は後任として石原プロの二代目代表取締役を務めあげています。
「渡哲也」の晩年
2011年に石原プロの代表取締役を退任したものの、2017年に相談取締役として再び石原プロの経営陣として参加。
これは事務所の幕引きを踏まえてのことだと言えるでしょう。
実際に同年には小樽の石原裕次郎記念館が閉館。
兼ねてから噂ではあった事務所解散が現実的なものとなり、それに向かい采配を揮うこととなりました。
一方で2015年に急性心筋梗塞で手術を受け他のに続き、呼吸器でも不安が見つかり、体調についての不安も囁かれるようになっていました。
「渡哲也」の死に様
1973年に膠原病に罹患して以降、月1回の定期健康診断は欠かさなかったこともあり、1991年の直腸癌、2015年の心筋梗塞も乗り切りました。
しかし元々の持病である喘息、そして肺気腫にも身体を蝕まれていました。
2016年には在宅酸素療法を実施していることを明らかにしたほどです。
肺気腫には根治的療法がないため、じわじわと症状は悪化するばかり。
コロナ禍のさなかの2020年8月10日午後6時30分にて永眠しています。
78歳でした。
「渡哲也」の死に様の信憑性
2020年の夏はコロナ禍のさなかでした。
春には志村けん、岡江久美子など肺炎で亡くなっています。
このためまた大スターがコロナウイルスの犠牲になったのではと囁かれました。
しかし死因は兼ねてから闘病中の肺気腫、喘息などの呼吸器疾患からくる肺炎だと明かされています。
肺気腫だと本人が告白したのは2016年の宝酒造の松竹梅のCM撮影でのこと。
既に在宅人工呼吸療法を導入していることを明かしています。
またこの年の石原裕次郎の命日である7月17日に石原プロの解散が21年1月だと発表されたことで、精神的にも肩の荷が降りたのかもしれません。
まとめ
渡哲也は2020年8月10日の18時30分に東京都内の病院で息を引き取りました。
享年79歳。
死因は呼吸器疾患による肺炎でした。
既に2016年の段階で在宅呼吸器療法を行うなど肺気腫が進行。
元々の持病の喘息と併せての呼吸不全だと言えるでしょう。
病は気からではありませんが、10数年来の懸案事項であった石原プロの解散が7月に正式発表され、行く末の目処がついたことも精神的に大きかったのかもしれません。