「K-1 GRAND PRIX ’96」を制し、創成期のK-1四天王と称されていたアンディ・フグは、35歳という若さで亡くなっています。
今回は、スイス人の空手家である彼の死因に迫ります。
「アンディ・フグ」とは?簡単に説明
1964年にスイスのチューリッヒで生まれたアンディ・フグは、「青い目の侍」という異名で多くのファンから愛された空手家でした。
幼少の頃サッカー少年であったアンディは、ブルース・リーに憧れて10歳から極真空手を始めており、10代のころは喧嘩に明け暮れた青春時代を送っていました。
1985年に極真空手のヨーロッパ選手権を制し、2年後の第4回極真世界大会では準優勝に終わったアンディは、1993年から日本のキックボクシングイベントであるK-1に参戦することになります。
K-1に参戦後は彼の代名詞ともいえる必殺技の「踵落とし」を駆使して勝ち続け、外国人選手ながらも最も人気の高い選手へと昇華していきます。
強さと脆さを併せ持ち、色気を感じさせるファイターだったことにより、勝敗を度外視した熱いファイトに人気が集まっていき、いつしかアンディは「K-1」のアイコンとして目されるようになっていきますが、「K-1 WORLD GP 2000 」に出場を予定していた矢先、急性前骨髄球性白血病により35歳と言う若さで亡くなっています。
「アンディ・フグ」の死に様
2000年10月24日、アンディフグは急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳で永眠しています。
この当時アンディは家族や関係者にすら、自身の体調不良を知らせておらず、情報が入ってきた時にはすでに彼は日本医科大学付属病院に入院中で、危篤状態に陥っていました。
アンディは10月に開催される予定のK-1グランプリに出場するため、母国で準備していたところ、皮膚の感染症や発熱が続いたため地元の病院で受診してみましたが、異常は発見されませんでした。
来日後、体調不調により再度検診を受け、血液検査を行った結果、急性前骨髄球性白血病に罹患していることが発覚し、緊急入院することになります。
入院後、投薬治療によって一時小康状態となったアンディは、ファンや関係者あてに闘病に打ち克って戻ってきます。
という力強いメッセージを残しますが、数日後には昏睡状態となり、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
「アンディ・フグ」の死に様の信憑性
来日直前に母国スイスの病院で検査を受けていたアンディフグは、検査の結果、異常は認められませんでしたが、来日後、日本医科大学付属病院にて再検査を受けたところ、M3タイプの白血病に罹患していることが発覚します。
このM3タイプに罹患した場合、早期に治療を始めることがもっとも大切で、最初の1週間~10日を乗りきることができれば比較的完治しやすい白血病と言われています。
アンディが白血病と診断された時にはすでに身体は多くのがん細胞に侵されていたため、白血球は通常よりも50倍もの量になっていました。
そのため、入院後まもなく昏睡状態に陥ってしまったアンディは、友人や関係者たちが病院に駆け付けた時にはすでに会話することができない状態でした。
しかしながら病室に駆け付けた仲間たちからの「あきらめるな!試合はまだ終わっていない!」という激励のメッセージを聞いたアンディの心臓は2度3度動き始めますが、ついに動かなくなってしまい35年の生涯に幕を下ろしています。
「アンディ・フグ」の小ネタ等
スイス人の空手家でありながら武道の心を理解し、和の精神を重んじていたアンディフグは、多くのファンから愛され、ついには日清食品やクボタ、ツムラ、日本IBMなどの名立たる一流企業のCMに出演して、たどたどしい日本語で商品の宣伝をしていました。
そして自身の没後には故人ながらも、公共広告機構による骨髄バンクキャンペーンのメインキャラクターに起用されています。
まとめ
「青い目の侍」や「ミスターK-1」などと称され数多くの格闘技ファンに愛されたアンディフグは急性前骨髄球性白血病により35歳で亡くなっています。
彼の必殺技「踵落とし」は現代の格闘技シーンにおいてもしばしば使用されており、彼の熱い魂は多くの選手が受け継いでいると言ってもよいでしょう。