2022年秋、日本で検索トップにもなったあの病気にヘプバーンも罹っていた?
この記事ではオードリーヘプバーンの晩年とその最期に迫ります。
「オードリー・ヘプバーン」とは?簡単に説明
いわずとしれた大女優、20世紀を代表する女優の一人だと言っていいでしょう。
代表作でもある「ローマの休日」の名シーンのやり取りは現在でもイタリアローマを来訪する観光客には定番になっています。
また映画だけではなく「ティファニーで朝食を」で彼女の歌った「ムーンリバー」は現在に至るまで多くの歌手にカバーされている名曲になっています。
後年は女優業をセミリタイアし、過酷な少女時代の体験からユニセフでの親善大使として尽力していくことになるのでした。
「オードリー・ヘプバーン」の晩年
晩年は女優業の第一線からは身を引き、自身が第二次大戦中に経験した苛烈な体験からユニセフの親善大使として世界各地を巡っています。
その一方で私生活ではロバート・ウォルダースと三度目の結婚を遂げています。
自らがもっとも幸せな9年間だとインタビューで語っているとおり、充実した晩年を過ごしていたと言っていいでしょう。
しかしそんな幸せな生活にも終焉が訪れようとしていました。
「オードリー・ヘプバーン」の死に様
大スターの人生の幕引きはあまりにも唐突なものでした。
1992年の9月に北アフリカからスイスに戻った後、謎の腹痛に悩まされるようになります。
原因究明のためにロサンゼルスへ渡り、検査入院したところ腹膜偽粘液腫で致命的なところまで癌が転移していることがわかりました。
ただちに手術を行うとともに化学療法も進めたものの状態は芳しくなく、術後ちょうど一ヶ月に再手術を行いますが、既に手の施しようがありませんでした。
ヘプバーンは自宅へ帰ることを希望。
身体の衰弱でその希望すら困難であったものの、友人の手助けもありスイスの自宅で静かにその最期の時を迎えます。
ロサンゼルスを発ってから一ヶ月後の1993年1月20日の午後7時、多くの家族に見守られながら永眠。
63歳没。
「オードリー・ヘプバーン」の死に様の信憑性
世界のトップスターであるために、彼女の手術が行われた際には世界中で報道がされています。
それと同時にナショナル・エンクワイアラー紙によるスッパ抜きもありました。
そこでは余命幾許の内容が書かれていました。
同紙は歴史があり、多くの真実を世間に晒してきたこともあるものの所詮はタブロイド紙のためこの時点ではそれほど信憑性がありませんでした。
その後彼女が亡くなってから、闘病生活について多くの事実が周囲から明かされています。
まとめ
オードリーヘプバーンは1993年1月20日に63歳で永眠しています。
死因は腹膜偽粘液腫でした。
その発症率は100万人に1. 5人という稀少がん。
簡単に言い換えれば盲腸がんで2022年秋に日本でも検索エンジンでトップにあがったことがあるほど、一般的には認知度の低いものです。
闘病生活は短かったものの5年以上の期間、病魔は彼女の身体を蝕んでいました。