この記事では、「クレオパトラ」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「クレオパトラ」とは?簡単に説明
「クレオパトラ」とは、古代エジプトにおけるプトレマイオス朝最期のファラオ(=女王)だった人物です。
「クレオパトラ」の名を冠する人物は複数名いますが、「クレオパトラ」と言えば、この記事で紹介する「クレオパトラ7世フィロパトル」のことを指します。
「絶世の美女」と謳われ、古代ローマの「ガイウス・ユリウス・カエサル」やその部下「マルクス・アントニウス」と政治上だけでなく、男女の関係も結んだことで有名な女性です。
「クレオパトラ」の晩年と最期
「クレオパトラ」と「アントニウス」は、「カエサル」の甥である「ガイウス・オクタウィアヌス・トゥリヌス」と対立を深め、紀元前31年に「アクティウムの海戦」が勃発します。
「クレオパトラ」たちはこの戦いに敗北し、後に「アントニウス」は彼女が死去したという誤報が原因で自殺を図ってしまいました。
残された「クレオパトラ」は「オクタウィアヌス」の捕虜となってしまいますが、屈服すること拒んだ彼女は自害します。
享年39歳でした。
「クレオパトラ」の死に様の信憑性
「クレオパトラ」の死因については、これまで毒蛇に自身の胸や腕を噛ませ、神経毒により死に至ったとする説が通説でした。
しかし、近年では毒蛇ではなく、服毒自殺だった説が有力視されつつあるようです。
理由としては、蛇の毒だと死ぬまでに時間がかかることや外見を損なうこと、その場に蛇がいたことを示唆しない描写が複数あることなどが挙げられます。
ちなみに、「クレオパトラ」は生前、死刑囚を使って、どの毒を使えば苦しまずに死ねるかという実験をしていたという逸話も残っています。
まとめ
「クレオパトラ」(=クレオパトラ7世フィロパトル)とは、古代エジプトにおけるプトレマイオス朝最期のファラオ(=女王)だった人物です。
「絶世の美女」と称されるほどの美貌をもって、ローマの「カエサル」や「アントニウス」を魅了し、権力を振るいますが、「カエサル」の甥である「オクタウィアヌス」に敗北し、監禁されてしまいます。
そして、「オクタウィアヌス」にひざを折ることを拒否した「クレオパトラ」は死を選び、39歳で自殺するのでした。
自殺については、長らく、贈り物のイチジクに忍ばせた毒蛇に自身の体を噛ませ、神経毒で死んだとされてきましたが、近年では服毒自殺だったのではないかとの説が有力視されつつあるようです。