キース・へリングは、ストリートアートやポップアートを代表する芸術家として有名です。
キース・へリングの晩年や最期について紹介します。
キース・へリングとは?
キース・へリングとは、1980年代に活躍したアメリカの画家です。
ストリートアートの先駆者として知られ、ニューヨークの地下鉄で描いた絵によって人気となりました。
チョーク・アウトライン形式と呼ばれる犯罪現場で用いられる技法で、シンプルな線と大胆な色使いで描いた作風が特徴です。
Tシャツなどファッションとコラボした作品がよく知られています。
キース・へリングの晩年
キース・へリングは晩年、世界中で芸術活動を行っていました。
政治的・社会的なメッセージ性の強い作品も多く、社会貢献活動にも尽力しました。
アパルトヘイトやAIDS(エイズ)、薬物などをテーマにした作品も多いです。
特にAIDSに関しては、キース・へリング自身がHIV感染者だったこともあり、撲滅活動に積極的に関わりました。
AIDSへの啓発を促すために1989年に制作された作品が「Fear」です。
IGNORANCE(無視)=FEAR(恐怖) Silence(沈黙)=DEATH(死)をテーマにしており、「見ざる・言わざる・聞かざる」をヒントにしたといわれています。
キース・へリングの死に様
キース・へリングは1990年、AIDSの合併症によって亡くなりました。
31歳という若さで、この世を去ったのです。
亡くなる前年、キース・へリングはキース・へリング財団を設立しています。
キース・へリング財団は、AIDS団体や子どもの教育に資金提供をするための財団です。
自らの遺産が、恵まれない子どもの教育やAIDSを啓発する団体に使われることを望んでいました。
キース・へリングの死に様の信憑性
キース・へリングは、生前から自身の病気やセクシャリティに関してカミングアウトしていました。
同性愛者であることを公言していましたし、HIV感染者であることも情報発信しています。
1980年代はアメリカでエイズが広がり始めた時期で、多数の死者を出していました。
キース・へリングもその一人となったのです。
キース・へリングは、作品を通じてHIV感染の予防を訴えるメッセージを出し続けました。
まとめ
キース・へリングは晩年、自身がHIV感染者だったこともありAIDS撲滅運動に積極的に関わっていました。
しかし、AIDSによる合併症で、31歳という若さで亡くなっています。