近代医療に絶大な貢献を果たした「フローレンス・ナイチンゲール」はどのような最期を迎えたのでしょうか?
この記事では、「フローレンス・ナイチンゲール」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)」とは?簡単に説明
「フローレンス・ナイチンゲール」は医療や病院建築において画期的な改革を推進したイギリス人看護師です。
その功績から「近代看護教育の母」や「ランプの貴婦人」、「クリミアの天使」とも称されています。
裕福な家庭に生まれた「フローレンス・ナイチンゲール」ですが、貧困に苦しむ人々の現状を目の当たりにし、反対する家族を押し切って看護師の道へと進 ました。
1854年に「クリミア戦争」が勃発すると、彼女は現地へと赴き、衛生管理の改革を行います。
終戦を迎えた後も、国内の医療改革のために心血を注ぐのでした。
「フローレンス・ナイチンゲール」の晩年と最期
1901年、「フローレンス・ナイチンゲール」は失明したことで、活動の第一線から身を退きますが、クリミア戦争での看護活動や国内での医療改革が称えられ、1907年にイギリス政府より女性として初のメリット勲章が授けられました。
自宅で過ごすことが多くなった「フローレンス・ナイチンゲール」ですが、彼女の元には絶えず訪問者が足を運んでいたと云われています。
そして、1910年8月13日、享年90歳で逝去しました。
「フローレンス・ナイチンゲール」の死に様の信憑性
1910年8月13日にバーレーンの自宅で逝去します。
死因については多くの説がささやかれていましたが、1995年に医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」で掲載された論文によると「フローレンス・ナイチンゲール」の死因は「ブルセラ病」と呼ばれる感染症の慢性症状であったと発表されました。
「フローレンス・ナイチンゲール」の逝去に、イギリス政府は国葬を提案しますが、遺族がこれを固辞したため、葬儀は親族のみで行われました。
強靭な天使?「フローレンス・ナイチンゲール」
「クリミアの天使」とも呼ばれるように「フローレンス・ナイチンゲール」といえば優しく、可憐なイメージを抱きがちですが、実際の彼女は非常に凛々しかったようです。
医療物資の受け渡しを渋る軍医に対して、素手で木箱を叩き割ったという豪快なエピソードも残っており、彼女自身「天使」と呼ばれることを快く思っていなかったとか。
まとめ
「フローレンス・ナイチンゲール」は「近代看護教育の母」や「クリミアの天使」とも称され、今日の医療や病院建築に多大な影響を与えたイギリス人看護師です。
晩年は失明により第一線を退きますが、後に功績を称えられ、女性として初のメリット勲章をイギリス政府より贈られています。
そして、1910年8月13日に自宅にて90年の生涯に幕を閉じました。