「ルイ14世」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ルイ14世」の死に際とは?世界の人物

この記事では、ルイ14世の晩年や最期について紹介します。

「ルイ14世」とは?簡単に説明

「ルイ14世」とは、ブルボン朝第3代フランス王国国王です。

「ルイ13世」の長子であり、王朝の最盛期を築き上げたことから「ルイ大王」「太陽王」と称されています。

わずか4歳で国王に即位した「ルイ14世」は宰相のサポートを受けつつ、国内では中央集権化と重商主義政策を推し進め、国外では「帰属戦争」「仏欄戦争」など積極的に戦争を仕掛け領土を拡張していきます。

権威を確立させた「ルイ14世」は絶対君主制を敷きますが、治世の後半になると戦争での苦戦が影響し、フランス国内に深刻な財政難を招いてしまいました。



「ルイ14世」の晩年と最期

「ルイ14世」の晩年の頃のフランスは長年に及ぶ戦争による出費により、財政破綻直前となっていました。

さらに王太子「ルイ」が1711年に逝去し、翌年の1712年には「ルイ14世」の長男「ブルゴーニュ公ルイ」が天然痘(もしくは麻疹)で逝去、同年に同じ病気により次男の「ブルターニュ公ルイ」が逝去しまいます。

そのため、王太子には三男の「アンジュー公」が選ばれることになります。

そして、1715年、誕生日の数日前に当たる9月1日、「ルイ14世」は壊疽の悪化が原因で崩御しました。

享年77歳でした。

ちなみに、後を継いだ「ルイ15世」は戒めを破って戦争を行い、財政破綻を招きます。

そして、その後を継いだ「ルイ16世」の治世で「フランス革命」が起こり、「ルイ16世」は処刑され、家系は断絶することになるのです。



「ルイ14世」の死に様の信憑性

崩御の床に臥した「ルイ14世」はまだ幼い王太子を呼び、「私は多くの戦争をしたが、私のマネをしてはならない」と戒めを伝えたそうです。

崩御後、遺体はサン=ドニ大聖堂に埋葬されますが、当時の民衆は崩御に歓喜し、葬列には罵声を浴びせたと云われています。

まとめ

「ルイ14世」はブルボン朝第3代フランス王国国王であり、王朝の最盛期を築き上げたことから「ルイ大王」「太陽王」の異名を持ちます。

積極的に戦争を行い領土の拡張に成功しますが、晩年には戦争による負担が原因でフランス国内は深刻な財政難に見舞われます。

そして、1715年の9月1日に壊疽の悪化が原因で、77歳でこの世を去りました。

ちなみに、「太陽王」という異名の由来ですが、宮廷舞踊の際、ギリシャ神話の太陽神「アポロン」に扮して踊ったことに因んでいるとも言われています。

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