多重人格が世に広まる契機を作った男『ビリー・ミリガン』の散り際とは?
この記事ではビリー・ミリガンの晩年と散り際を解説していきます。
「ビリー・ミリガン」とは?簡単に説明
1977年に3人の女子大生を連続強姦して逮捕。
ティーンエージャーに薬物、酒、ドラッグが浸透しているアメリカではそう珍しくもない性犯罪事件に思えました。
しかし担当弁護士が彼の異常さに気づき、サイコセラピストや検事などに呼びかけて調査をおこなうと本人含めて23人の人格を持っている事が明らかになりました。
解離性同一症が世界的に認知される事となり、サイコ・サスペンスとして確立。
日本でも90年代の月9ドラマ「三上博史」氏主演『あなただけ見えない』が話題になりました。
「ビリー・ミリガン」の晩年
オハイオ州コロンバスの精神病院を退院したのが1988年のこと。
その後3年間は引き続き外来で精神治療を行っていたことが明らかになっています。
96年にはカリフォルニア州へと居住地を移し『Stormy Life Productions』で短編映画を作成する予定でしたが、計画は頓挫。
その結果彼は誰にも居場所を教えずに行方をくらましてしまうのでした。
それから10年以上の月日が流れた2009年、彼はオハイオ州に戻ってくると治療の甲斐があってか、平穏な日々を過ごしていたとされます。
「ビリー・ミリガン」の死に様
2014年12月12日にオハイオ州のコロンバスの病院で死去。
59歳没。
死因は癌によるものでしたが、詳細は不明でした。
「ビリー・ミリガン」の死に様の信憑性
オハイオ州には2009年から10年の間に帰ってきたと明かしたのは、ビリー氏の妹の証言によるものでした。
当然ながら名前を明かしてしまえば、奇異の目に晒されてしまうため、自身の名前を明かさない事を条件に語っています。
家族のプライバシーを守るため、そして再び兄の起こした奇妙な事件が世間に蒸し返されるのを恐れており、ビリー氏の闘病生活についてほとんど語ることはありませんでした。
91年には解離性同一性障害を克服したとされますが、生涯治療は続けていたことが明かされています。
90年代後半にはカリフォルニア州サンディエゴに住んでおり、裁判官を脅迫し、自身の所有していた映画会社も含めて破産していたと言います。
この際にいわゆる13人の『好ましくない者たち』が出現したのかは不明。
「レオナルド・ディカプリオ」氏主演の映画は頓挫したもの、2022年には『The Minds of Billy Milligan』が『スパイダーマン』の「トム・ホランド」氏主演でドラマ化。
その数奇な運命を映像で見ることが可能です。
まとめ
2014年12月12日にオハイオ州コロンバスの病院で死去。
59歳没。
死因は癌によるものでした。
ビリー氏の妹が事件を蒸し返されるのを恐れ、家族のプライバシーを守るために最低限の情報しか明らかにしていません。
91年にオハイオ州の精神衛生制度と法廷から解放された後はカリフォルニア州サンディエゴで生活。
しかし裁判官を脅迫し破産。
暫く行方知らずとなった後、09年にオハイオ州に帰ってきていた程度の情報しか公表されることはありませんでした。