シャネルは現在でも人気の高いファッションブランドの一つですが、その創業者がフランスを代表するファッションデザイナーのココ・シャネルです。
ココ・シャネルの晩年と最期について紹介します。
ココ・シャネルとは?
ココ・シャネルはフランスの貧しい家庭に生まれ、母が亡くなると孤児院で過ごしました。
孤児院で裁縫の技術を身に付け、大人になると仕立て屋で働きます。
舞台女優を目指していましたが挫折し、愛人であったエチエンヌ・バルサンの支援を受けて帽子を販売するブティック「シャネル・モード」を開店します。
その後、アーサー・カペルと付き合うようになり、カペルの資金提供を受けて新たなブティックを開業しました。
機能的で洗練されたココ・シャネルのデザインは人気を博し、デザイナーとして大成功します。
ココ・シャネルの晩年
第二次世界大戦が勃発すると、ココ・シャネルはアトリエを閉めて3000人もの従業員を解雇しました。
フランスはドイツに占領されます。
戦時中にココ・シャネルは、ナチスの諜報活動に協力したといわれています。
戦争が終わるとナチスに協力したことで逮捕されることを恐れ、スイスに亡命します。
スイスでの亡命生活は15年にも及びました。
そして、70歳の時にパリに舞い戻り、ファッション界に復帰します。
ところが、新しくブティックを開いて新作を発表すると、彼女のデザインは古いと酷評されてしまいました。
しかし、シャネルのデザインは女性進出が進むアメリカで高く評価され、大人気となります。
それがヨーロッパにも広がり、シャネルはファッション界の女王として返り咲いたのです。
ココ・シャネルの最期
ココ・シャネルは、長年暮らしたホテル・リッツで亡くなります。
高齢だったので体の衰えはありましたが、前日まで元気に暮らしていたといいます。
享年87でした。
ココ・シャネルの功績
ファッション界におけるココ・シャネルの功績は色々ありますが、その中の一つにリトル・ブラック・ドレスがあります。
それまで黒いドレスは、喪に服す時に身につるものでした。
その黒い色を普段着に取り入れたのです。
膝ぐらいの丈の黒いドレスはリトル・ブラック・ドレスと呼ばれ、ココ・シャネルの代表的なスタイルとなっています。
ココ・シャネルをめぐる逸話
ココ・シャネルは恋多き女性だったと言われています。
芸術家から貴族まで交友関係は幅広く、多くの男性と付き合いました。
しかし、生涯結婚することはなく独身を貫いています。
貴族のウェストミンスター公と交際していた時には結婚が噂されましたが、結婚には至りませんでした。
それは仕事を辞めて家庭に入ることを求められたからです。
彼女にとってファッションの仕事が何よりも大切だったことが分かります。
まとめ
ココ・シャネルは、晩年になってからもファッションデザイナーとして活躍します。
そして、87歳の時に長年暮らしたホテル・リッツで亡くなりました。