「ヴィヴィアン・リー」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ヴィヴィアン・リー」の死に際とは?世界の人物

絶世の美女なれどニンフォマニア?「ヴィヴィアン・リー」の散り際とは?

この記事ではヴィヴィアン・リーの晩年と散り際について解説していきます。

「ヴィヴィアン・リー」とは?簡単に説明

『風と共に去りぬ』の「スカーレット・オハラ」役であまりに有名な女優。

絶世の美女でありながら、その美しさが邪魔をすると言われるほどの演技力を兼ね備えていたことでも有名でしょう。

また『欲望という名の電車』では「ブランチ・デュボワ」役でアカデミー主演女優賞を獲得しています。

日本では映画女優としての認知度が高いもの活動は主に舞台であり、日本でも名の知られた古典的戯曲の主役を軒並み演じています。

ジュリエット、マクベス夫人、クレオパトラ、オフィーリアはその代表例でしょう。



「ヴィヴィアン・リー」の晩年

映画作品で大衆にインパクトを残すもの舞台活動がメインになっていたのは、彼女の健康問題によるものも大きかったと言えるでしょう。

特に死の直接の原因となった結核に関しては、現在も罹患すれば隔離、長期間療養が必要なほど。

30代で患った結核に生涯悩まされていくことになりました。

また1948年頃から顕著になったとされる双極性障害も仕事に支障がでるほどに悪化していきました。



「ヴィヴィアン・リー」の死に様

1967年7月7日もしくは8日にロンドンのベルグレイヴィアのアパートの寝室で死去。

53歳でした。

死因は結核の発作による喀血。

それが気管で凝固しての窒息死でした。

「ヴィヴィアン・リー」の死に様の信憑性

メリヴェール氏は後年彼女との関係についており、運命の最期の夜についても語っています。

ロンドンでの仕事のため借りていたアパートに帰宅すると彼女はシャム猫とともに寝ていたそうです。

自身の夕食を作るためキッチンへ行き、食事を済ませて戻ると床で彼女が倒れていました。

慌てて抱き起こすも彼女は息絶えており、床に喀血の痕跡、大量の血液があったとされます。

ただし死に様の項目で記載したとおり、彼女が7日もしくは8日に亡くなったと言われるのは別のメリヴェール氏のインタビューからです。

これにより信憑性には些か疑問がつくのは間違いないところでしょう。

またオリビエ氏は自伝でリー氏をニンフォマニア、逆にオリビエ氏は自身の夫人にバイセクシュアルだと証言されています。

リー氏の神経症の悪化には複雑な事情もあった可能性が高いといえるでしょう。

まとめ

1967年の7月7日もしくは8日にロンドンのベルグレイヴィアのアパートで死去。

53歳没。

死因は肺結核での大量喀血により、血液が凝固して気管をふさいだことによる窒息死によるものでした。

1945年もしくはそれ以前に結核に罹患、サナトリウムでの休養と回復を度々繰り返していました。

肺結核の悪化により戯曲『A Delicate Balance』を降板し、療養していたもの入院せずに静養していたと言います。

睡眠導入剤を使わないと眠れないほどであり、入院治療していれば最悪の事態は防げたのかもしれません。

没後に元夫である『一俳優の告白 ローレンス・オリヴィエ自伝』で彼女への言及が見ることができます。

また没後の節目の年にドキュメンタリーが作られており、当時生存していたメリヴェール氏も出演したものがありました。

それらで彼女の最期の様子は知ることができます。

タイトルとURLをコピーしました